衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月07日    水曜日     第1 回の開示 合計2682回の開示

雑阿含経(二八三)その三

(三)原文:結びつけられた法について、無常観に随順し、生滅観に住し、無欲観、滅観、捨観を修め、顧みる心を生ぜず、心が縛られなければ、愛は滅する。愛が滅すれば取は滅し、取が滅すれば有は滅し、有が滅すれば生は滅し、生が滅すれば老病死憂悲悩苦は滅する。かくの如く純粋なる大苦の集まりは滅する。

釈:仏は説かれた。煩悩の結びつきによって縛られた法(六塵の境界)について、これらの法の生滅無常性を観じ、心を法の無常性と生滅性に随順させれば、法への欲求はなくなり、法が滅し捨てられるべきものと知る。法への未練がなくなれば、心は法に縛られず、貪愛が滅する。貪愛が滅すれば執取の心が滅し、執取が滅すれば三界の有が滅し、有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老病死憂悲苦悩が滅する。かくして六道の生死における純粋なる大苦の集積は滅する。

原文:例えば木を植えるが如し。初め小さく弱き時、愛護せず、安穏ならしめず、肥土を施さず、時を定めず灌漑せば、寒暖適わず、生長せしめず。もし根を断ち枝を截り、段々に切り分け、風に晒し日に炙り、火で焼き払い、灰となして風に散らし、或いは流水に投げ入れん。比丘よ、汝らはどう思うか。この木は根から断たれ、焼き尽くされて、未来世に生じざる法となるのではないか。答えて言う。然り、世尊。

釈:仏は説かれた。(煩悩の結びつきを断つことは)木を育てることに似ている。初め小さく弱い時、慈しまず養わず、安穏な環境を与えず、肥料も施さず、適時灌漑せず、寒暖調わなければ、木は成長せず枯れ果てる。さらに根を断ち枝を切り、細かく分解し、風に晒し日に干し、火で焼き払い灰となし、風に散らすか流水に流せば、比丘たちよ、どう思うか。この木は根から断たれ焼かれ、未来永劫生じることなきものとなるのではないか。比丘たちは答えた。その通りです、世尊。

煩悩の結びつきも同様である。煩悩が現れた時、決してこれに従って養わなければ、次第に枯れ果てる。貪愛が滅すれば煩悩はなくなり、未来の老病死の苦悩は現れない。

原文:かくの如く比丘よ、結びつけられた法について無常観に随順し、生滅観に住し、無欲観、滅観、捨観を修め、顧みる心を生ぜず、心が縛られなければ、愛は滅する。愛が滅すれば取は滅し、取が滅すれば有は滅し、有が滅すれば生は滅し、生が滅すれば老病死憂悲悩苦は滅する。かくの如く純粋なる大苦の集まりは滅する。仏はこの経を説き終えられし時、比丘たちは仏の説法を聞き歓喜して奉行せり。

釈:仏は説かれた。その通りである、比丘たちよ。煩悩の結びつきによって縛られた法について、その無常生滅性を観じ、心をその無常生滅性に随順させれば、欲求はなくなり、これらの無常法を滅し捨てることを願い、未練・執着・執取の心を起こさない。かくして心は縛られず、貪愛は断たれる。貪愛が滅すれば執取が滅し、執取が滅すれば三界の有が滅し、有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老病死憂悲苦悩が滅する。六道の生死における純粋なる大苦の集積は滅する。

一切の法は常に生住異滅し、無常である。ゆえに一切の法を縁に随って捨て去れば苦悩はなく、執着すればするほど苦しみは増す。三界の有為法を捨て、縁に随って生きれば、心は縛られず自在解脱する。一つの法を愛すればその法に縛られる。貪愛が滅し執取しなければ、未来の三界の有と生は現れず、老病死苦も全て消滅する。

——生如法師の開示
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