衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年11月25日    日曜日     第2開示 合計1036開示

法とは真理のことであり、事実の真相とも呼ばれる

法とは、事実の真相であり、真理です。だから菩薩が法を説くということは、事実の真相を説き、真理を説くことなのです。そして、それぞれの事物の事実の真相は一つしかありません。各人が自分の立場から観察して、もし正確に間違いなく観察できたならば、観察された事実の真相はみな同じであり、やはり事実の真相は一つしかないということになります。もし各人の観察から導き出された結論が異なるならば、それは多くの人が観察に誤りがあり、正しく観察できていないことを意味します。正しく観察できなかった原因は数多くあり、人それぞれ原因は異なりますが、共通する特徴は観察力の不足です。

法を説くということは事実の真相を説くことである以上、その事実の真相は、できれば自分自身で証明したものであるのが望ましく、そうして説けば最も説得力があり、最も親しみのあるものとなります。もし法を説く際に他人の言葉を引用することしかできないならば、それにも相当に優れた弁別力が必要であり、他人の言葉の説くことが本当に事実の真相であると弁別し、証明できなければなりません。私たちは現時点では、仏の説かれたことすべてが事実の真相であるとしか確定できず、自分自身で実際に証明する能力もなく、それは単に仏陀の聖言に対する仰信と崇信にすぎず、正信や真信には達していません。真信には証量が必要なのです。では、仏陀以外の人については、仰信や崇信にはある程度のリスクを冒すことになり、正信・証信・真信のみが信頼できるのです。しかし証信は非常に非常に困難ですから、末法の時代の衆生の大多数は仰信・盲信・崇信であり、正信や証信・真信ではないのです。

——生如法師の開示
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