衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年09月12日    土曜日     第3開示 合計2613開示

どうすれば識を捨てて根を用いることができるのか

この「根」とは衆生の根性を指すと言う人がいますが、実は意根を指しています。根性とは、識の功能作用でもあり、識を離れれば、根性を語ることはできません。善根・根性とは、一般に生まれながらにして具わる第七識の智慧を指します。

捨識用根(識を捨てて根を用いる)は、一般の人が参禅する際に用いることができます。六識を捨て、特に意識の情思・意解、琢磨・揣摩(推し量り)、分析・推理・比較・判断を捨てて、専ら意根の思量 (manasikāra/manana) 性を用いることで、はじめて道を証することができます。道を証した後のその後の修行においても、できる限り意根を用います。意根を用いることで直接的で深く透徹したものとなり、耿直・正直・純正・純真・純潔に見え、あらゆる事を成し遂げることができ、言ったことは必ずやり、さらにはやり遂げても必ずしも口に出すとは限りません。

禅定がなければ、意根を用いることは非常に難しく、みな意識の推理と解釈を用います。それは楽ですが浅薄です。解ることは証るより速いのですが、役には立ちません。三昧 (samādhi) がなければ、解脱を得ることはできず、生死を了することもできず、意識が滅すれば無効となってしまいます。禅定が深いほど、意根の用いられる度合いが増し、力が大きくなり、問題を解決できる力が強くなり、三昧がより備わり、三昧が深いほど、智慧はより透徹し、解脱の力が大きくなります。

——生如法師の開示
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『楞伽経』摘句釈義:第一義諦

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