根と塵が触れ合うことで意識が生じ、根・塵・識の三つが和合して触れる時、意識は法塵の境を了別し、意根はこれに依って総合的な抉択を行う。意識と意根が互いに触れ合えば、必然的に互いを縁として心を知り合い、法が絶えず運行し続けることによって、初めて身口意の行いが造作されるのである。もし意識と意根が互いに縁とならなければ、意識は運行することができず、意識が生じても何の役にも立たないため、今後意根は決して意識を生じさせる抉択を行わないだろう。意識が生じる目的は、意根に協力して意根の必要に従うことにあり、意識は当然生じた瞬間から意根が何を求めているかを知っている。それゆえ自然と意根の意向に従って行動するのである。その過程では意見や提言を差し挟むことも免れず、時には自らの主張が意根の意向と一致せず、内面に矛盾が生じ、事に臨んで抉択が定まらなくなることもある。
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