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日常法話

2020年08月28日    金曜日     第1開示 合計2574開示

六識の造作は外相分に関わり得るか

私たちが接触する六塵はすべて内相分ですから、私たちが見ている一本の大樹は内相分であり、それは黒い箱の中にあります。私たちの六識は外相分に接触することができません。では、もし六識と五陰身が木を切り倒した場合、それは木の内相分を壊したのでしょうか、それとも外相分を壊したのでしょうか?外にあるあの大樹はまだ存在しているのでしょうか?もし人を殺した場合、それは人の内相分を殺したのでしょうか、それとも外相分を殺したのでしょうか?もし人を殺すということが人の内相分を殺すことであるなら、それは殺人とは呼べません。なぜならその人はまだ生きているからです。もし人の外相分を殺すのであれば、六識は外相分に接触できないのです。私たちが人を殴るとき、殴っているのは自分の外相分でしょうか、それとも内相分でしょうか?もし殴ったのが自分の内相分であるなら、他人は痛いはずがありません。もし殴ったのが自分の外相分であるなら、私たちの六識は外相分に接触できません。これは一体どういうことなのでしょうか?

大樹を切り倒すとき、それが単に木の内相分を切り倒しただけなら、木の外相分はまだ存在しており、大樹は切り倒されていないことになり、「大樹を切り倒す」というこの法は成立しません。もし大樹の外相分を切り倒したのであれば、六識は木の外相分に接触できません。他人の物を盗む場合、内相分の物を盗んだのでしょうか、それとも外相分の物を盗んだのでしょうか?もし内相分の物を盗んだのであれば、法に触れないはずです。もし外相分の物を盗んだのであれば、六識は外相分に接触できないのです。

実際には、真実の道理はこうです。内相分は外相分に依って存在し、先に外相分があり、後に内相分があります。もし外相分がなければ、内相分もありません。では、人が物品を破壊するとき、内相分を壊しただけでなく、必ず外相分も壊しており、しかも外相分が先に壊れ、内相分もすぐにそれに続いて壊れるのです。あの物品の外相分は必ず壊れて、あるいは消失して、他人はそれを受用することができなくなり、あるいはもう見ることができなくなります。それは間違いなく外相分がなくなったのです。

だからこそ、物を壊すことには罪があり、物を盗むことには罪があり、人を殺すことには罪があると言うのです。まさに外相分を壊したことによって、他人に損失を与え、もはや受用できなくさせたからであり、単に自分の内相分に関わるだけではないのです。もし壊したのが単に自分の内相分だけであるなら、何億人もの人を殺しても罪はなく、誰もそれを取り締まることはできないでしょう。だから、人を殺すこと、木を切ること、財物を壊すこと、物を盗むことは、いずれも外相分の本質に関わるものであり、それゆえに罪過があるのです。

六識は内相分にしか接触できず、外相分に接触できないのに、六識の行為造作は、なぜ外相分の変化に関わることができるのでしょうか?ここに大きな秘密があるのです。外相分とは、外にある四大から構成された相対的に真実な物質世界であり、この真実性も内相分との対比において言われているものであり、実は真実ではなく、これも如来蔵 (tathāgatagarbha) が幻化したものであり、その実質はやはり虚妄なのです。真実の法は第八識如来蔵 (tathāgatagarbha) のみであり、それ以外の一切の法は、すべて虚妄なのです。

——生如法師の開示
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