衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年08月25日    火曜日     第1 回の開示 合計2568回の開示

どのようにしたら解脱を得ることができるでしょうか

六塵は縁起法であり、数多くの縁に依存して生じ、存在し、変化発展する。故に六塵は頼りにならず、依存すべきではない。我々は徐々に六塵への依存を脱し、六塵への貪愛と執着を減らすべきである。修行が一定の段階に至り、完全に六塵に依存しなくなった時、心が空となり、大解脱が得られる。

どのような法に依存すれば六塵への依存が可能となるのか。六塵を執着するには六識が必要であり、六識が六塵を分別した後、六塵への依存が生じる。六塵を執着する法が六識を必要とするのはなぜか。意根が六塵を執着し、その後六識を生じさせ、六識を用いて六塵を執取し、更に意根が六塵と六識の機能作用を再び執着する。これが生死循環の連鎖である。執着する心は意根であり、六識という道具を用いて執取するが、実際に執取を得るのは意根である。六識もまた縁起法であり、数多くの縁に依存して生じ、存在し、変化発展する。故に六識は信頼できず依存すべき法ではない。我々は徐々に六識から遠ざかり、その依存を減らすべきである。修行が一定の段階に至り、完全に六識に依存しなくなった時、心が空となり、大解脱が得られる。

この真理は誰に向けて語られているのか。我々自身に向けて語られている。この「我々」とは誰か。「自身」とは誰か。全て意根を指す。六識は伝達役であり、これらの情報を意根に伝えて認識させる。進退を決めるのは意根が主導権を握る。もしこれらの情報が六識に留まり、主人である意根に伝達されなければ、情報は無意味となり、主人の心や選択に影響を与えられない。全ては元のままに留まり、生死の循環は続く。

如何にしてこれらの真理と情報を意根に伝達するか。禅定を修め、禅定の中で思惟観行する。禅定が深まるほど、伝達効果は向上し、意根はこれらの情報を吸収消化し、心を変化させることができる。そうすれば全ての無明執着は消滅し、一切の法から解脱し、生死の苦しみから解放される。

——生如法師の開示
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