菩提はただ心に求めるものであり、何ぞ外に向かって玄妙を求めん。これを聞いて修行に依れば、西方はただ目前に在り。
釈:何故菩提を心に求めるのか。菩提こそが心そのものであるからだ。いかなる種類の心か。どのような特徴を持つか。菩提はどの心に求められるか。どの心の上に菩提を見出せるか。
心は身の内、すなわち自心の内にあり、虚空や外相外塵の境、他人の身には存在しない。故にこの心を求めるには外へ探し求めず、玄妙を説く必要もなく、ただ心の内へ回帰して探せばよい。しかしこの心は時処所縁に一切の法と交わり、他人・外境・虚空宇宙器世間をも包含する。外境と接する時、光を内に収め反照して自心を観れば、この菩提心を照見できる。菩提は有用であり、常に作用を起こし、無駄な時はない。故に種々の作用の中に菩提を求めつつ、外境に目を曇らせて外相を真実と見做すことなかれ。さもなくば菩提心を照見できぬ。
これを禅参究と謂う。このように修行すれば自心を証得し、光現大千界の菩提心を証得し、一切法を円満成就する菩提心を証得し、本来仏陀たる自心如来を証得する。如来を見出し、これに依って七識の染汚心を改め、菩提心の如く清浄に、無我無私に、清浄無為に、一切有情を利楽するものとすれば、この修行は仏道を円満し、内外透徹して光明を放ち無辺三千大千界を照らす如来となり、自心如来と合一して無数の大千世界を極楽世界の如く輝かしく現出する。極楽世界は時処所縁に眼前に在り、一切苦悩の衆生を度して寂滅道場に帰せしめ、常楽我浄を得せしめるのである。
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