問:末那識が転依されていない状態では、常に有漏の法と相応するものであり、また末那識は恒に作用する識であるため、第八識は末那識に引きずられ、永遠に有漏種子のみと相応します。意識が一たび現行すると、即ち有漏種子と相応します。従って、末那識が無漏に転じない限り、意識が無漏に転ずることは不可能ではないでしょうか。
答:これは末那識が主導的識であることを証明しています。六識は末那識に依って現行し、末那識は一切の煩悩を蔵し、一部の煩悩ではありません。末那識が煩悩を断たなければ、意識も煩悩を断つことができず、末那識が無明を破らなければ、意識も無明を破ることができず、ただ降伏させ抑制するのみです。故に意識のみを修めても未だ究竟せず、再び壊れ、特に来世においては末那識に従って転じます。
末那識は有漏の法と相応しますが、同時に善心所の法も具え、六識を操って善業を造り、善業の種子も貯蔵します。第八識もまた善業の種子を含み、ただ悪業や有漏業の種子のみではありません。意識と五識が現行した後、やはり末那識に依って善業を造作し、善業の種子と相応します。悪業の種子や有漏の種子と相応するのみではないのです。末那識と意識は三種の業と相応し、時に善、時に悪、時に不善不悪となります。
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