『観無量寿経』の第一観を完成させることができれば、その禅定はすでに未到地定を超え、初禅に至ることもできるのです。これは真実の修行であり、容易でしょうか。非常に難しいのです。未到地定を達成できる人さえ極めて稀であり、それには多くの世俗法を捨て去らねばなりません。初禅に至るには、極めて多くの貪欲の煩悩を降伏させ、世間への執着を極めて少なくする必要があります。いったい誰がこれを成し得ましょうか。まして在家の者であれば、世俗の習気がこれほど強い状況で。ですから、あれこれ四禅を得たと称する話を安易に信じてはなりません。未到地定さえも大いなる試練なのです。
人間界の世俗的欲望を降伏させてこそ、未到地定を得ることができます。欲界天人の欲望を降伏させて初めて初禅定を得られます。最も低い欲望さえ降伏できないなら、まともな未到地定など望むべくもありません。人はあらゆるものを得ようとし、権力・金銭・勢力・名誉を貪り、目立ちたがり自己顕示に走るなら、どうして禅定を得られましょうか。美食・豪華な衣服・享楽に溺れるなら、どうして禅定を得られましょうか。世間のあらゆる事柄に執着するなら、どうして禅定を得られましょうか。修行を自己の身心と結びつけ、自らの一切の身口意と関連付け、絶えず照らし合わせ反省し、不断に自己を修証してこそ、自我を降伏させ禅定を修め、道業を絶えず進展させることができるのです。
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