現量観行における意根の心行と運作、および心所法については、意識と意根がともに識を転じて智となる程度、すなわち最低でも初地菩薩の境地に至るまで修行を要する。意識と意根が識を転じて智となるためには、第一に我見を断じ、煩悩の現行を断除し、初禅以上の禅定を具え、三果以上の聖人となること。第二に明心して真心の自性を証得し、深甚な般若智慧を具え、大乗菩薩の別相智を有すること。第三に禅宗第三関を通過し、有余依涅槃を証得すること。第四に唯識種智を具えることである。総じて、初禅以上の禅定と、大小乗の深甚なる解脱智慧を具える必要がある。
これらの観行は全て意識をもって意根を観じるものであるが、我見を断ずるとは意根と意識の双方に我見を断たしめることを指す。意根もまた滅びて久住し得ぬ法であることを観行証得できれば、我見を断ずるに足り、意根の心行と運作という特に深微な法を現観する必要はない。同様に、意根の俱生我執を断除するには、意根に五陰十八界が全て我にも非ず我所にも非ざることを証得させ、初禅定において順次煩悩を断除すれば足り、意根の我慢・我執などは全て断除され、四果の大阿羅漢となる。意根の運作と心行を現観する必要はない。
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