意根の思量は意識の思考よりも深細で究極的であるため、意根が同時に法理を思量し参究してこそ、悟りを証得することが可能となります。意根に法義の参究を参与させるためには、比較的深い禅定が必要であり、法義が意根の領域にまで深達して初めて、意根を専心させて思量考究を引き起こすことができます。禅定がなければ意根は専心できず、参究に力を発揮することができません。禅定がない状態で強引に観行しようとするならば、それは推測や情思意解と呼ばれ、その結果が如何なるものかは既に周知の通りです。よって禅定と悟証の関係、意根と悟証の関係を、必ず明確に理解し把握しなければ、着手して禅参究に勤しむことが叶いません。
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