第八識は業種を了別し、業種が成熟したかどうかを知り、いつ業種を現行させて果報を実現すべきかを知ることができるが、このような機能作用は任運自然なものであり、本来からの法則である。彼が特に主体となって果報を実現するのではなく、因縁が現前した時には必ず因縁に随順し、因縁に逆らわない。しかし如何なる場合でも彼の心は変わらず、如如不動であり、永遠に無事の者であって、心に塵ひとつ留めることがない。
第八識には思心所があり決定を下すことができるが、決定を下せることは主体性を持つことを意味しない。前五識にも思心所があり決定を下すことができるが、主体性は持たず指揮に従うだけである。いわゆる決定とは、触れたり知ったりした法に対して心に決定を下し、法を運行させ現出させ、了別した法を処理することである。これは各識の職務範囲内のことであり、主体性を代表するものではない。もし主体性を代表するのであれば、衆生は八つの主体性を持つ識を持つことになり、それではとっくに混乱していたのではないだろうか?
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