衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年08月03日    月曜日     第4 回の開示 合計2511回の開示

この仮想の世界の存在意義とは何でしょうか?

仏道を学ぶ者はこの世界を修行に活用できる。衆生はこの世で報いを受けるが、それ以外に何の意味もない。

私たちが直面しているのは電気信号に過ぎず、何もないのに、色鮮やかで華やかな六塵の世界を解釈している。それらの電気信号も実体があるわけではなく、見えず触れない種子が幻化したものである。実は世の中には何もなく、世間も存在しない。衆生は目の病(翳)を患っており、無理やり世間と世間の一切の法を見てしまう。

世間及び世間の一切の法は、意義があると思えば意義があり、無意味だと思えば無意味である。法に心はなく、物に心はなく、場面に心はなく、世界に心はない。衆生に心があるため、場面にどのような意味を付与すれば、場面はその意味を持ち、世界にどのような意味を付与すれば、世界はその意味となる。もし心がなければ世界はなく、心があれば一切の法がある。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

記憶の深さは意根によって決まります

次の記事 次の記事

各道の衆生における勝義根の区別

ページのトップへ戻る