衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年07月30日    木曜日     第3 回の開示 合計2500回の開示

如何にして証と不証を判断するか

問:手が電流に触れて痺れや震えを感じる場合、これは電流を証得したと言えるのでしょうか。盲人が手で電球に触れた場合、電球は証得できても光は証得できないのでしょうか。

答:証得の有無は状況によって異なり、人それぞれです。例えば科学者が感電した場合、100%電流の原理を理解するため、その証得は甚深であり、仏教で言う唯識の種智に相当します。子供が感電しても、この現象の理由を必ずしも理解せず、電気に触れたと分かって次回避けることはあっても、電流の原理や作用を必ずしも理解しません。盲人が電球に触れても、まず電球の概念(目が見えていた頃の記憶や他者からの説明)がなければ、何度触れてもそれが電球だと認識できません。衆生は無始劫より如来蔵と関わり、如来蔵の中で生き、常に如来蔵を用いながらも、その存在も姿形も知らないのです。

六祖は一言で悟りを開きましたが、他の者がその言葉を百回説明されても悟りには程遠い。肝心なのは本人の智慧と器量です。阿羅漢は凡夫の仏教的な言葉一つで四果を証得しますが、凡夫が百年阿含経を学んでも初果向に至りません。人それぞれ比較にならぬ差異があるのです。

——生如法師の開示
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