八、眼識の知と五識の知には名相がなく、意識の知には名相がある。例えば眼識が太陽光を知覚してまぶしさを感じる場合、太陽光という名相がなく、名称もなく、まぶしさという名相もなく、まぶしさという名称もない。意識が眼識と共に太陽光を了別する時、初めて意識はそれが太陽光であることを知り、太陽光がまぶしいことを知る。しかし目を閉じて太陽光を避ける行為は、意根の選択によるものであり、眼識と意識は無自覚的に迅速に実行するに過ぎない。なぜ意根は迅速に選択を行うことができるのか。眼識と意識が刹那的に太陽光を了別した情報は、すべて意根に伝達され、意根は刹那的にこれを正しく了知するため、利益を求め害を避ける適切な選択が可能となるのである。もし眼識と意識が了別する対象が意根に馴染みのない色法である場合、意根の選択はそれほど迅速ではなくなる。なぜなら意根が伝達された色法を理に適って理解できるとは限らず、明白に思量審査するまで選択を保留するからである。意根が思量しても理解できない場合、伝達された色法を如実に理解できず、やむを得ず選択を行えば誤った選択をすることになる。したがって意根の選択の速度や正確性、合理性は、意根の経験と智慧にかかっているのである。
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