衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月04日    木曜日     第2 回の開示 合計872回の開示

一切法は意根マナ識に帰す

末那識は深く細微な自我であり、全ての法を自我として扱い、当然全ての法は末那識によって用いられます。末那識は五蘊を自我として扱い、五蘊の作用は末那識自身の作用であり、第八識の機能作用も末那識自身の機能作用として扱い、六識の機能作用も同様に末那識自身の機能作用として扱います。因此、全ての法は第七識末那識によって用いられます。さらに、末那識は生生世世不滅であり、全ての因果報应も当然末那識によって受用されます。末那識は一切の時において自我自我自我であり、非常に伶俐な識心であり、習気煩惱が一身に集まります。何事においても、末那識の参与がなければ、事は成らず、参禅も同様です。末那識が主として参禅を決定しなければ、意識は参禅できません。因此、参禅という法も末那識によって用いられます。末那識を发动すれば、全ての事事半功倍となります。末那識に事実を述べ道理を講じ、末那識が全ての法に自我無いことを証得させれば、末那識は理を明らかにし、全ての事は根本的に解決され、直至成佛となります。

——生如法師の開示
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参禅とは意識を用いて如来蔵を参究することです

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