衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年11月11日    日曜日     第3 回の開示 合計1003回の開示

菩薩の十無尽願

諸仏が世に降誕し衆生を普く救済される際には、八相成道を示現されます。その内容を要約すれば、兜率天宮からの降誕、入胎、住胎、出生、出家、成道、法輪転じ、涅槃に入る相となります。故に仏は必ず出家者であり、僧侶の数に属し、在家の者ではございません。仏は華厳経において菩薩に十種の無尽大願を発心するよう教えられ、その一願として菩薩は必ず広大なる神通力を具えるべきことを説かれました。これは必修の修養であります。神通がなければ自ら成就すること叶わず、また衆生を度化することもできません。ただし神通は入地後の修行に相応しく、悟りを開いた後でさえ修得は容易ではなく、それ以前に修することを推奨しません。

菩薩の心量が狭小であれば、かくも広大なる誓願を発すること叶わず、仮に発したとしても成就できません。心量の広さに応じて菩薩の事業も広大となるのです。我ら一切衆生の未来世における唯一の務めは、自らを度し他を度すことにあり、生生世世にわたってこの仏事に専心し、三界の世俗的追求に染まることはありません。今より心を訓練し、世間の相に執着せず、世間の個人利益を求めず、生存競争に身を投じず、財・色・名・食・睡、色声香味触、家親眷属など一切のものに対し、心を空しく清浄に保つよう努めねばなりません。かくして心が空浄となれば広大無辺となり、如来蔵の如き境地に至り、究極の悟りを成就するのです。

衆生界が尽きて初めて我が願いも尽きます。果たして衆生界は尽きるのでしょうか。いつの日にか。経典には仏に問う者がありました。衆生界は尽きるか、衆生は悉く度されるかと。仏は答えられなかったようです。仏が知らぬ故ではなく、衆生の数が無量無辺で数え尽くせぬためであります。各菩薩の使命は極めて重大で、仏となりても永遠に衆生救済の事業に繁忙を極めます。十方世界の無量無辺なる衆生、仏法なき世界の多さは計り知れず、それらの衆生は深き苦悩の中にあって菩薩方の救済を待ち侘びているのです。

将来衆生を度する力を得た時は、一切を衆生のためにはかり、私利私欲のために争ってはなりません。菩薩同士が眷属問題や名声地位を巡って争うならば、衆生はどうなりますか。往昔に発した菩提の大願は何処へ消えたのでしょう。今こそ大願を発し、未来世に菩提心を忘れず、ひたすら自己の道業を成就し衆生を救済するため、世俗の利益に惑わされぬよう心掛けねばなりません。

衆生の善根福徳が熟さなければ仏法に遇うことはできません。我らは衆生のために善根を培い、その成熟を促すべきです。もし衆生の善根が熟さず福徳を欠くなら、仏が眼前に現れても無益であります。仮に衆生界が尽きて衆生が存在しなくなれば、仏国土の存在意義も失われます。仏が無数の仏国土を成就されるのは衆生救済のためであり、衆生が存在しなくなれば仏は形を留めて住世されるでしょうか。その時は形を留めず、仏国土も用をなさなくなるのです。かく観ずれば、今我々が争うべきものなど何もありません。一切の法は空にして、仮に用いるべき時節に用いれば足り、貪著する必要はないのです。

——生如法師の開示
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