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日常法話

2020年03月10日    火曜日     第3開示 合計2200開示

『楞伽経』…いや、『楞厳経』第三巻 識大虚妄

原文:阿难。识性无源。因于六种。根尘妄出。汝今遍观。此会圣众。用目循历。其目周视。但如镜中。无别分析。汝识于中。次第标指。此是文殊。此富楼那。此目犍连。此须菩提。此舍利弗。此识了知。为生于见。为生于相。为生虚空。为无所因。突然而出。

解釈:阿難よ、識の性質には源がなく、六種の根と塵によって虚妄に生じる。あなたは今、この大会の中の聖者たちを広く観察し、あなたの眼で順次観てみなさい。眼は周囲の一切の法を遍く観ることができる。しかし眼に見えるものは鏡の中の像のようであって、特別な分析を加えることはない。あなたの眼識は観察の中で、次々と標示する――この人は文殊師利、この人は富楼那、この人は目犍連、この人は須菩提、この人は舎利弗であると。あなたの眼識の了知性は、見の中から生じたのか、色相から生じたのか、虚空から生じたのか、それとも何の原因もなく突然生じたのか。

原文:阿难。若汝识性。生于见中。如无明暗。及与色空。四种必无。元无汝见。见性尚无。从何发识。若汝识性。生于相中。不从见生。既不见明。亦不见暗。明暗不瞩。即无色空。彼相尚无。识从何发。

解釈:もしもあなたの識の性質が見の中から生じたのであれば、明暗の相がなく、色相と空相がなければ、この四種の相がことごとく無い以上、もともとあなたの見性はない。見性すら無いのに、どこから識の性質が生じるのか。もしもあなたの識の性質が色相から生じたのであって、見から生じたのでないならば、あなたの識の性質は光を見ることもできなければ、闇を見ることもできない。光と闇が見えなければ、色相と虚空はなく、色相と虚空が無いのに、識の性質はどこから生じ発するのか。

原文:若生于空。非相非见。非见无辨。自不能知。明暗色空。非相灭缘。见闻觉知。无处安立。处此二非。空则同无。有非同物。纵发汝识。欲何分别。若无所因。突然而出。何不日中。别识明月。

解釈:あなたの識の性質がもしも虚空から生じたのであれば、識の性質には色相もなく見性もない。見性がなければ辨别性もなく、自然には光明、闇、色相、虚空の生滅因縁を了知することができない。見聞覚知は成立しなくなる。空は無に相当し、有は物に相当する。この二つの対立する現象の中で、たとえあなたの識の性質が生じたとしても、あなたは何を分别するというのか。識の性質が何の原因もなく突然現れたのであれば、なぜ白昼の太陽の下で、別に月を識別しないのか。

原文:汝更细详。微细详审。见托汝睛。相推前境。可状成有。不相成无。如是识缘。因何所出。识动见澄。非和非合。闻听觉知。亦复如是。不应识缘。无从自出。若此识心。本无所从。当知了别。见闻觉知。圆满湛然。性非从所。兼彼虚空。地水火风。均名七大。性真圆融。皆如来藏。本无生灭。

解釈:あなたはさらに細かに参詳し、微細に詳細に審察しなさい。見性はあなたの眼に依りかかり、承え託されてこそあり、色相はあなたの眼前の境界である。形があって見えるものを有と呼び、相がなければ無である。しかしこの識心は何によって現れたのか。識心は動であり、見性は澄んでいる。両者は和合することができない。聴性・嗅性・嘗性・触性もまた同様である。識心が縁もなく処所もなく自ら生じたはずではない。もしこの識心が、もともと生じた処所を持たないのであれば、あなたは知るべきである。識心の了別性、見聞覚知性はいずれも円満清浄に安然と存在しており、その性はどこかから生じたものではない。虚空、地水火風とともに七大の一つと称される。その性は真実円融であり、いずれも如来蔵であり、もともと生滅がない。如来蔵の中では、いかなる法も生じず、いかなる法も滅しない。

原文:阿难。汝心粗浮。不悟见闻。发明了知。本如来藏。汝应观此。六处识心。为同为异。为空为有。为非同异。为非空有。汝元不知。如来藏中。性识明知。觉明真识。妙觉湛然。遍周法界。含吐十虚。宁有方所。循业发现。世间无知。惑为因缘。及自然性。皆是识心。分别计度。但有言说。都无实义。

解釈:阿難よ、あなたの心は粗雑で浮ついており、見聞覚知の明瞭さと了知性がもともと如来蔵であることを悟っていない。あなたはこの色声香味触法の六処における識心を観察すべきである。六処と同じなのか異なるのか、同じでも異なるでもないのか、識心は空なのか有なのか、空でも有でもないのか。あなたは根本的に知らない。如来蔵の中では、識の性質こそ明瞭湛然な知性であり、真覚の明性こそ真実の識の性質であり、微妙な覚性は清浄安然に淡々として、一切の法界に遍満し、十方の虚空を包容している。どこに方向や処所があろうか。衆生の業力に随順して現れるのである。世間の人は無知であって、迷って因縁によって生じたもの、あるいは自然に有るものと考えるが、いずれも識心の虚妄な分别と計量である。何か言説があるとしても、いずれも実際の意義はない。

——生如法師の開示
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『善悪占察業報経』抜粋

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