一阐提(ichantī)が善根を断つことは、単なる真如心如来藏(Tathāgatagarbha)への不信を指すものではなく、不信と同時に悪語を加え、诽谤が極めて重く、影響非常に悪いことを意味します。如来藏を不信する者は大多数ですが、一阐提罪人は極少数であり、否则無間地狱(Avici hell)は容纳不下となります。
文殊菩薩(Manjusri)が五百比丘(500 monks)に大乘法(Mahayana)を講じました。比丘たちは不信の同時に起身離去し、心中に嗔心(anger)、特に文殊菩薩の講法に対する嗔心がありました。この罪は一般人の嗔心より大倍であり、故に彼らは地狱に受苦しました。これらの事は文殊菩薩早有预料。舍利弗(Sariputra)が文殊菩薩に問じました:「この結果を知りながら何故に彼らに大乘法を講じたのか?」文殊菩薩は曰く:「彼らは地狱に下りましたが、善根已に成熟し、地狱に入り後忏悔を知り、一念悔心により地狱罪消灭し、升天し、再び人間に戻り大乘法を修学し、最後に证道します。彼らに大乘法を講じなければ、地狱に下らずとも善根福德を種下せず、大乘法修学と证道の机会なしとなります。
故に,一時的に不善不利に見える事も,長遠視れば大利益があります。大菩薩の见识は広大,目光長遠,長远利益を見え,所作皆能饶益有情。普通人は眼前利益のみ見え,長遠見えず,故目光短浅となります。
学佛人(Buddhist learner)は仏を学ぶ故に,多読佛经(sutras)、仏の三大阿僧祇劫(three asamkhya kalpas)の修行经历を多了解し、諸大菩薩の修行历程、仏菩薩の大智慧行も多了解すべきです。自身修行には极大指導意义があり,茫无所知となりません。佛経は全面且究竟に講じられ,内容丰富详実,多読必受益匪浅。後世の基礎打下し、仏菩薩を辨别する慧眼も得られ、各伝法之人が善知识或邪师(evil teacher)を识别し,人欺瞒を受けず,邪路走らず,成佛快速となります。
0
+1