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日常法話

2020年02月17日    月曜日     第1開示 合計2142開示

正法念処経における偷盗

正法念処経原文:云何偷盗乐行多作。云何乐行多作。盗已堕于地狱。此恶戒人。性自偷盗。近恶知识。若恶知识近住之人与彼相随。则行偷盗。

有下中上。何者为下。谓王法等。如前所说。何者为中。非福田所。偷盗彼物。此盗为中。何者为上。佛法僧物。微少偷盗。是则为上。

彼佛法僧。若盗僧物。佛法能净。盗佛法物。僧不能净。若盗众僧现食用物。堕大地狱。头面在下。若取属僧所常食物。则堕无间阿鼻地狱。宽广闇等。以重福田。微少偷盗。以有心念。乐行多作。彼少偷盗。堕于地狱畜生饿鬼。若复忏悔。不生随喜。心中生悔。彼不定受。若偷盗人。无量方便而行偷盗。以如是故。名为偷盗。

ここで説かれているのは、偷盗の中で最も重いのは何か、すなわち三宝物を盗むことです。偷盗業の中でこの項目が最も重く、仏・法・僧の三宝物を盗むことです。盗むというのは、すなわち三宝に属する物を、同意を経ずに、自分の意志で取り、自分の物であるかのように独断で使うことを言います。たとえ極めて微少な物であっても、果報は極めて重く、たとえばティッシュペーパー、タオルなどの類であり、もし盗むのがこれより高価な物品であれば、果報はさらに重くなります。もし犯した者がいれば、自ら方法を考えて埋め合わせし、罪障を軽減すべきです。常に寺院に行く人は、自分に盗みをしたことがないか、たとえ蝿の頭ほどの小さな利益も含めて、自ら多く反省し点検すべきです。

三宝に布施すれば無量の福を得られますが、三宝物を盗み占有すれば無量の罪と無量の負債を得ます。三宝は世間で最大の福田であり、福を得るのが最も大きく、罪を得るのも最も大きいのです。地蔵経には、寺院の草一本を取れば罪があると説かれていますから、草一本よりさらに高価な物品は言うまでもなく、水、電気、ガス、食物、茶、それぞれの用具も含まれます。

侵占もまた盗の範囲に属し、飲食や物品だけでなく、三宝に属する様々な権利や職責も含まれます。本来三宝に属し三宝が行使すべき権力と職責を、他人があえて勝手に三宝に代わって取り仕切り、三宝に属する人・財・物を動かし配分し、三宝の頭の上にのさばるなら、この罪はさらに大きいのです。

三宝の功徳と名声を占有し奪うことも、また盗に属し、この罪はおそらくさらに大きいでしょう。これらの戒律を、私たちがもし厳格に守持して犯さなければ、心は自然と清浄 (viśuddha/pariśuddha) に沈められ、何かを得ようとか、何かの得をしようとは考えなくなり、心を収摂すれば、自然と禅定が得られるのです。人の心が定まらないのは、必ず心の中に事があるからであり、もしそれらの事をすべて放棄し、もう思い煩わなければ、禅定を修めて成就できないと何の心配があろうでしょうか?

誰からも、またどのような団体からも、得をしない習慣を身につければそれでよいのです。この良い習慣があれば、多くの負債を背負うことが少なくなり、多くの福徳を失うことが少なくなります。得をしたところこそ、まさに得を失うところなのです。この世界には、そもそも占め得る得など存在しません。因果が存在するからであり、一分の得を占めるごとに、それぞれの如来蔵 (tathāgatagarbha) にはすべて記録され、因縁が成熟すれば、いずれも千倍万倍無量倍にして返さなければならず、返すのが遅くなるほど、孽息(利子)は高くなり、返す額はますます多くなるのです。

——生如法師の開示
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