法華経には「是の法は法位に住し、世間相は常に在り」と説かれています。ここで言う法と世間相は明らかに区別されるものであり、さもなければ世尊が分けて説かれることはなかったでしょう。世間相は自在ならず自主性もなく、生滅変異して無常なるものですが、なぜここでは常に存在すると言うのでしょうか。生滅無常の法は、不生不滅で常住なる法に依止して初めて絶え間なく出生し、変異し滅びることができるのです。この常住法が滅びない限り、世間は永遠に絶え間なく生滅を続けます。世間相の個体はある期間存在しては滅びますが、総体としての世間相は常に絶え間なく存在し続けます。これらは全て不生不滅の常住法である第八識によるものなのです。
第八識は世間相とは異なり、世間相と混ざり合うことなく、永遠に清浄なる涅槃の状態にあります。世間相が如何に生滅変異しようとも、それに参与することなく、如如不動として世間相に心を動かされることもなく、何らかの変異を起こすことも、煩悩や無明を生じることもありません。故に第八識の本体たるこの法は永遠に清浄無垢の涅槃の態を保って動かず、それによって生じた世間相もまた永遠に絶え間なく出生と滅亡を繰り返し、世間の現象は滅びることがないのです。
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