衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年11月02日    金曜日     第1開示 合計981開示

種子とは何か

種子とは、その名の通り、種があり子がある、すなわち能生の義である。例えば植物の種子は植物を生長させることができ、一切法の種子は一切法を出生させることができる。種子には七大種子と業力の種子が含まれる。七大種子は業力の種子が成熟する時に、衆生の一切法を生成することができる。衆生が業力の種子を離れれば、七大種子は用をなさなくなる。如来蔵は衆生の業力の種子が成熟する時に、七大種子を用いて衆生の業果報を造り出すのである。

業力とは、その名の通り、業行の力である。この力は非常に大きく、大多数の衆生はこれに抗うことが難しく、業力に従って漂流するほかなく、自ら抜け出すことが困難である。この力は、意根の力であり、意根は業を代表する。意根には力がある、それは作主識であるため、思うがままに行動することができ、多くの場合、意識は抗しきれない。さらに後には如来蔵が一貫して意根に順従し、業力の種子を釈放するので、衆生は業力の中で苦しくもがき、生死の大海の中で頭を出しては沈み、沈んでは頭を出すことになる。そこで意識によって善法を修学し、絶えず力を積み重ね、意根の業力を誘導し対抗するしかない。業力を少しずつ転じ、悪報を次第に軽くし、善報を次第に強めていくしかのである。

——生如法師の開示
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意根の我見我執の断除

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如来蔵 (tathāgatagarbha) 以外、一切法はすべて頼りにならない

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