衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月31日    水曜日     第1 回の開示 合計975回の開示

《大乗顕識経》講義

賢護が仏に申し上げました。「世尊よ、衆生は識があることを知ってはおりますが、宝を箱に閉じ込めたように、顕現せず知ることができません。世尊よ、この識がどのような形状をしているのか、なぜ識と名付けられたのか分かりません。衆生が死ぬ時、手足が乱れ動き、目の色が変わり、制御が利かなくなります。諸根は滅び、諸大は分離し、識が身体から遷移してどこへ去るのか。その自性はどのようなもので、どんな色相をしているのでしょうか。どうしてこの身を捨てて、また別の身を受けるのでしょうか。」

では阿頼耶識は最初に色身の中に来るのでしょうか。そうではありません。阿頼耶識は単独で色身を執持できず、また色身を執持しようとする心もありません。意根の思心所の影響を受け、意根に随順して刹那に受精卵に入り、受精卵を執持し、意根と同時に母胎に入ります。意根と阿頼耶識は影の形に離れず、刹那も分かれられないため、両者が母胎に入る時も色身を離れる時も前後がありません。もし前後があれば、両者が分離可能であることを示し、意根が単独で存在し、阿頼耶識も単独で運行できることになり、阿頼耶識と意根の体性に反します。

四大の種子は阿頼耶識から出てきます。阿頼耶識が色身を離れる時、必ず四大の種子を全て回収します。これにより阿頼耶識中の種子は増減なく、縁に遇って再び送り出され、万法を生じます。衆生が臨終を迎える前、長い時間を経る前から、阿頼耶識は業種を了別できるため死の時を知り、具体的な時間も把握しています。ゆっくりと四大の種子を変化させ、身体を腐臭させ、身体機能を衰弱させます。息が絶えようとする時、真の四大分解が始まり、四大の種子を回収します。全て回収されると色身は屍となります。

前五識は現起せず、五倶意識もその後消滅します。勝義根の四大が分解すると、独頭意識も次第に消え、正死位に入ります。死亡過程は善業をなした者は比較的短く苦痛もありません。悪業を造った者は長く死苦を多く受けます。この過程は数時間から十数時間かかる場合もあります。

六識が次々消滅する過程は四大が分離する過程でもあり、特別な苦痛を感じます。四大の種子が分離し、阿頼耶識に戻ると、身体は暖かさを失います。火大が分離し身体は冷たくなり、地大・水大・風大も順次分離し阿頼耶識に回帰します。

しかし善業をなした者は苦痛を感じず、善業の果報により瞬時に天界に生まれます。我見が断たれていない場合でも三界に未練があっても、善業の果報により天界で福を享けます。天楽が響き、天界の父母が待ち望むでしょう。善果報の者は八識が色身を離れる時間が短く、瞬時に昇天するため苦痛を経験しません。人道に生まれる者は断末魔が比較的長く、過程も短くありませんが苦痛は少ないです。

悪業を重ねた者ほど臨終の四大分解で苦痛を感じ、手足が乱れ苦悶の様子を示します。しかし既に表現できず、舌や口など身根が機能しないため話せません。この時触れられると激痛を覚え、瞋恚心を起こし地獄に堕ちる可能性があります。故に死後すぐに身体に触れてはならず、完全に死が確認されてから処理します。完全な死には8時間から十数時間かかります。三悪道に赴く者は身体が冷たく硬直し、地獄衆生は黒、鬼道は青い顔色です。

最後に六識が完全に滅尽すると五蘊がなくなり、意根は五蘊身を利用できず色身を放棄します。中陰身となり再び胎を求めます。これが諸根喪滅の過程です。

諸大乖離とは地水火風四大の分解(実は空大も含む)を指します。本来和合していた四大が分離し色身の生命機能が消滅します。肉身は存在しても動けず木のようになります。

阿頼耶識は色身の四大分解後、意根と共に色身を離れ次の色身に転生します。業種に従い新たな色身を現じます。通常は中陰身を経て各道に赴きますが、天界や地獄には中陰身がありません。阿頼耶識の赴く先は臨終時の業縁次第です。前世の悪業が今世の善業で覆われなければ三悪道に堕ちますが、善業が成熟すれば善道に生まれます。臨終時にはどの業縁が先に成熟するかが重要で、善業が小さく悪業の縁に抗えない場合、仏法を学んでも三悪道で報いを受けます。

——生如法師の開示
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