問:本性清浄の如来蔵(tathāgatagarbha)の空性(śūnyatā)は染汚した七識の種子を含蔵しているので、業風に随って漂い流転し、三界六道の中で受生し、時に天に生まれ、あるいは地獄に堕ちる。あるいは人間界に生まれ、正法を否定したがゆえに、再び地獄の中に現れる。如来蔵は受生できるのでしょうか?受生ということは生滅があるということではないでしょうか?
答:第一に、如来蔵心は空ではありますが、空性とは呼べず、空性心と呼ぶべきです。なぜなら如来蔵は心の本体であり、本体の性質を表すものではないからです。性質は心体に付属して本体を説明するものであり、実体ではなく、心に依ってはじめて心の性質が存在するのです。
第二に、如来蔵は受生することができません。如来蔵は七識の染汚業種を含蔵してはいますが、受生するのは第七識が業に随って受生するのであり、如来蔵はただ第七識に随って受生するだけです。第七識が受生する時、如来蔵が第七識をして受生させるのであり、如来蔵が配合して業種と七大種子を出力しなければ、第七識は受生することができません。したがって、如来蔵が天上・地下・人間の輪回において受生するとは言えず、第七識が天上・地下・人間で絶えず輪回して受生しているのだと言うべきです。
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