衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年10月27日    日曜日     第2 回の開示 合計1988回の開示

なぜ夜は昼間よりも思惟が明晰なのですか?

問:夜、座禅を組みながら法義を思惟し、座を下りても未だ腑に落ちず、解けぬ疑問を抱えたまま眠りにつきました。夜中に突然悟るときがあり、その瞬間は心が澄み渡り、興奮の余り眠れなくなりました。夜中に悟ったのは、いったい誰が悟ったのでしょうか。

答:深遠な問題を思惟する場合、心に懸かり続けるとは、すなわち意根も思量に参与している状態です。結論に至らず、思惟が明らかにならなければ、意識は疲弊し、注意が転じ、あるいは滅します。しかし意根はなお思量を続け、いつの間にかその問題を明察するに至ります。

多くの問題が夜間に昼間より明瞭に考察されるのは何故か。外界の干渉が少なく、意根が相対的に専注し、より深く思量に参与するためです。攀縁とは、意識の攀縁か、それとも意根の攀縁か。意根の攀縁ですが、六識の配合がないため、その攀縁は減退します。故に六識が静まると、意根は一つの問題に専心して思量できます。夜間は六識が活動せず、意根の攀縁が減じ、六識が分別した情報が意根を乱さないため、意根は反芻を始め、意識の解き明かせぬ法義を専心思量し、夜中に突然法義を悟る可能性が生じるのです。

——生如法師の開示
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