真空とは如来蔵のことです。真実でありながら性空であり、その心体には一法も無いですが、すべての法を現すことができます。妙有とは五蘊十八界法の相です。相は有ですが、実質は無であり、すべて如来蔵によって現された虚妄法です。虚妄法は虚妄ですが、存在しないとは言えません。なぜなら、衆生は刹那毎に五蘊を使い、五蘊で食事、穿衣、走路をし、五蘊で生活しています。衆生は虚妄の十八界に生活し、見るのは仮色、聞くのは仮声、嗅ぐのは仮香、嘗めるのは仮味、觉えるのは仮触、识するのは仮法です。見、聞、嗅、嘗、触、识はすべて五蘊の作用です。だから五蘊表面的存在現象を否定できません。
五蘊は真実の存在ではありませんが、虚妄の存在方式があります。明らかに衆生は毎日五蘊を使いますが、五蘊不存在と言います。心真に五蘊が確かに虚妄であると認める時、それは我見を断です。願衆生皆如此です。もし五蘊の虚相も不存在を否定すれば、我見を断できません。なぜなら、五蘊十八界を観行できなければ、五蘊十八界の虚妄不実性を見清できず、我見を断除できません。すべての無明煩惱も消除できません。
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