衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年09月08日    日曜日     第1 回の開示 合計1904回の開示

六識には睡眠という法があるのでしょうか。

六識がどのような法を持っていても、六識が存在する状況下でなければならない。六識自体が存在しない場合、どうしてその法を持つことを論じられるでしょうか?例えば、张三という人が存在しない場合、张三が何物を持っていると言えません。家が存在しない場合、家の中に何物があることを論じてはならない。同様に、睡眠中に六識が存在しない場合、六識が睡眠という法を持つことを論じてはならない。では、睡眠は誰の法でしょうか?意根の法です。意根は睡眠しないが、意根は身体の状況に基づいて睡眠を必要とし、身体の疲劳困倦問題を解決します。睡眠しない場合、身体が劳顿すると、意根は正常に六識を使用して各種工作を完成することができません。つまり、睡眠は意根が必要とするもので、意根によって決定され、意根の主動的な行為選択です。意根が睡眠を選択する目的は、五陰身がより良い工作を行うためです。五陰身が疲劳困顿がない場合、意根は五陰身を続けて運行させ、中止しない。天人はこのようです。したがって、睡眠は意根と相应し、六識と相应しない。六識が滅すると、睡眠が存在します。

——生如法師の開示
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