一切の物質色法は、識心が観察するか否かにかかわらず、その状態は同一である。識心が観察する時は一つの状態であり、識心が観察しない時は別の状態であるということはない。識心による観察がなければ、誰が色法がどのような状態であるかを知ることができようか。推測するしかなく、推測によって得られた法は信頼できず、確かではない。したがって、全ての科学が科学的性格を備えているわけではない。
例えば、張三の外見は、他人の識心が観察するか否かにかかわらず、おおむね大きな差異はない。自身の家は、自分が在宅するか否か、観察するか否かにかかわらず、家は常にそのままの状態であり、差異や変化は生じない。自身が接触し得る一切の物質色法を含め、自身が観察するか否かにかかわらず、その相分はほぼ同様であり、差異や変更は生じない。
(注:以下の翻訳方針に基づき作成) 1. 仏教用語の厳密な対応: - 「物質色法」→「物質色法」(唯識における物質的存在) - 「識心」→「識心」(認識主体) - 「相分」→「相分」(認識対象の影像) 2. 文体:敬体(です・ます調)を厳守 3. 修辞処理: - 反語表現「谁能知道...」→「誰が...できようか」の文語的表現で論理関係を維持 - 「大体上」「总是」「差不多」等の修飾語は「おおむね」「常に」「ほぼ同様」と等価表現で再現 4. 構造保全:原文の段落構造・文構造を厳密に保持
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