衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年06月01日    土曜日     第1開示 合計1567開示

念じて念ぜずということは、すなわち念仏三昧である

真の念仏三昧は、意識が末那識を十分に染め込み、末那識によって成就されるものであり、本心を証得する境地である。この時には定もあれば慧もある。修行の全過程において、意識が末那識を導き、仏菩薩の形象を念ずることから真の仏菩薩の真如を念ずるに至り、最終的に末那識が三昧を成就する。意識は念じないが末那識が念じ、甚深の禅定が現れ、その後智慧が生じ、それによって真心の自性を証得するのである。

「念じないで念じる」とは、意識は念じないが末那識が念じ、末那識が自ずから念じ、意識では制御できない状態である。この理を理解すれば、如何に工夫して修行すべきか、如何に参禅して究明すべきか、如何に思惟観行すべきかを理解し、道を証し悟る原理と過程が分かるのである。

「念じておらずながら念じている」とは、最終的には完全に末那識が念仏するとはいえ、末那識は意識のように念仏するわけではなく、表面的には念仏できないように見える。実のところ、真に念仏できるものもまた念仏しておらず、口もなく心もない。それは何ものか?参!

——生如法師の開示
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父子合集経選講(六二)

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