第五章 三つの夢の比喻
原文:大王、六根は幻の如し、境界は夢の如し。譬えば、ある人が夢寐中に諸婇女と共に娱乐を相しました。大王、あなたの意は如何ですか?彼が夢覚已後、所受の楽を憶えて、実在があるでしょうか?王は否と言いました。
释:仏は言いました:大王、六根は全て幻化されたもので、六尘の境界は夢の中の境のようなものです。譬えば、ある人が夢中に諸婇女と一緒に嬉戏游玩娱乐しました。大王、あなたの看法如何、その人が夢境から醒过来後、夢中所受の楽を憶えて、夢中の境界は実在ですか?净饭王は否と言いました。
眼耳鼻舌身意の六根は幻化の如し、一无所有の空中から幻化された六根、其功用も同样幻化不実です。幻化の主は魔术师のような如来蔵です。诸根に対する境界色声香味触法、仏は夢の如しと言い、夢中の物と同じで、根本捉把できません。夢中の意识はまだ夢境を了别でき、夢中の人や物に接触し、喜楽哀怒の觉受を生起します。夢醒後、一无所有、了不可得。众生は所謂の現実中で生活し、夢中のように迷妄颠倒しています。六尘の境界に接触できるように、六识の感受があるように、实は全て虚幻です。夢醒後、了不可得。众生はまだ夢から醒过来していません、菩薩は半夢半醒で、徹底醒过来していません、诸仏は徹底清醒过来し、夢中不在で、夢中の事を完全に憶えられます。凡夫众生は全て夢話を言っています。
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