衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年10月16日    火曜日     第2開示 合計919開示

一切法はすべて唯如来蔵(tathāgatagarbha)の所造である

万法は唯心の所造です。この心とは何を指すのでしょうか?必ず如来蔵 (tathāgatagarbha) を指します。これ以外には万法を生み出すことはできません。なぜなら、七識の心はそれ自体が自在ではなく、自主性がなく、生滅変異するものであり、実体を持たないので、種子を蔵することができません。万法を創造するための七大種子であれ業種であれ、七識の心の中にはなく、それゆえ七識はいかなる法も生み出すことができず、如来蔵が生み出した法を心の中に影として投げかけ、影を落とし、影として現じする以外には、他に何の力も持たないのです。

滅尽定 (nirodha-samāpatti) の中には六識がありませんが、勝義根 (indriya) の中の相分 (nimitta) は誰が変造したのでしょうか?眠っていて六識がないとき、六塵の境界は誰が変造したのでしょうか?昏倒して六識がないとき、六塵の境界は誰が変造したのでしょうか?いずれも如来蔵が業種に随順して変造したものであり、意根が配合の働きをします。意根が身を執持するので、五根が有用に機能し、如来蔵は五根を通じて五塵の影を伝導するのです。六識は変造することができません。六識が存在しないからです。一切法は唯心の所造であり、「万法唯識」という二つの言葉には差があります。万法唯識とは、万法が八つの識を通じて現じされるという意味で、凡夫の五陰 (pañca-skandha) 七識の中に一つの識が欠ければ、ある種の法は現じされませんが、その種の法は客観的には依然として存在している可能性があります。

唯心宗とは、一切法が唯如来蔵より出生するということであり、七つの識も如来蔵の中に数えられ、如来蔵の心体が出生した法です。唯識宗は唯八つの識であり、七つの識は如来蔵に従属します。如来蔵から演派されたものでない法門は一つもなく、如来蔵を離れて成立しうる法門は一つもありません。一切の法門はすべて如来蔵の中の法門であり、すべて如来蔵の分枝です。空門とは如来蔵の解脱法門であり、空宗とは如来蔵の空性 (śūnyatā) の宗です。

唯識の種智を備えた地上の菩薩のみが、観察することができます。一切法はすべて唯如来蔵の所造であり、一切法はすべて真如であると。其余の人は観察できません。もし漏れ落とした部分があり、それが如来蔵の所造でないなら、それは如来蔵の心の外にまだ存在しうる法があるということになります。そうすると、この観点は外道の観点です。地前の菩薩はいずれもいくらかの外道思想を免れがたく、それゆえ如来の家に入らず、仏の実の子ではないのです。内道と外道は、ただ一念の差にすぎません。

——生如法師の開示
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