衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年04月26日    金曜日     第3開示 合計1462開示

金剛経唯識深義(一二〇)

原文:须菩提。所言善法者。如来说即非善法。是名善法。

解釈:世尊はまた須菩提に言われた。須菩提よ、私の言う善法は、衆生たちが認める善法とは異なり、如来の説くところによれば善法に非ず、実際的な意味における善や法はなく、いずれも一種の表相にすぎない。それゆえ、仮に善法と名づけるのである。

善法には多くの階層と内包がある。世俗間の善法もあれば、出世間の善法もあり、小善法もあれば、大善法もあり、さらに究竟の意味における善法もある。世間の善法とは、五戒十善のことである。世尊が最初に娑婆世界に来られたとき、まず人天善法を説き、衆生にこれに依って修行させ、世間の福德を得させた。これは小善である。衆生が世間の福德を得て初めて、引き続いて世尊に従って阿含解脱道を修学し、三界世間の苦を出離することができる。これは中善である。続いて世尊はまた二十余年の時間をかけて、衆生のために般若の理を宣示し、衆生にこれに依って修行させ、みな般若実相を証得させ、真実義の菩薩とならせ、その後さまざまな甚深の般若智慧を発起させた。これは上善である。その後、世尊はさらに方広唯識の甚深の義理を宣説し、大乗の菩薩たちを度化して漸次甚深の道種智を具えさせた。これは大善である。最後に世尊はさらに法華・涅槃など一仏乗の究竟の義を宣説し、すべての衆生を度化して、みな成仏の道に入らせ、成仏の法を修行させ、究竟円満の仏果に達せしめた。これが究竟の善である。

これらの善法には、いずれもそれに対応する法相があり、これらの法相は、いずれも四相の無い無相の心体である如来蔵に依って顕現し幻化されたものである。これらの法相は、いずれも如来蔵がさまざまな縁に依って種子を流注することによって成就されたものである。表相は「有」であって、衆生には見ることができるが、有は実有に非ず、相は真相に非ず、その本質は真如如来蔵であり、いずれも真如の一真法界の中の物であって、真如の外に出るものではない。すべての善法相は、黄金の器物のように、いずれも黄金から来たものであり、その本質はみな黄金である如来蔵なのである。それゆえ、いずれも一つの真実の法界、すなわち真如の体なのである。そこで、これらすべての善法の仮相、実有に非ざる法に、善法と名づけるのである。名は善法ではあるが、その実質は真如の理体なのである。

——生如法師の開示
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