原文:もし人ありて能く受持し読誦し、広く人の為に説くことを得ば、如来は悉く是人を知り、悉く是人を見たまう。皆な量るべからず、称すべからず、辺際なく、思議すべからざる功徳を得ん。是の人の如き等は、則ち如来の阿耨多羅三藐三菩提を荷担するなり。何を以ての故に。須菩提よ、若し小法を楽しむ者は、我見・人見・衆生見・寿者見に著すれば、則ち此の経に於て、能く聴受し読誦し、人の為に解説することを得ず。須菩提よ、在在処処に、若し此の経有らば、一切の世間の天・人・阿修羅は、供養すべき所なり。当に知るべし、此の処は則ち是れ塔なりと。皆な恭敬すべく、作礼して囲繞し、諸の華香を以て其の処に散ずべし。
釈:もし人が、能く金剛般若波羅蜜経を受持し読誦し、広く衆生のために如来蔵の実相義理を開演することができれば、この人のすべての善根と福徳、すべての智慧と功徳、彼が衆生のために行ったすべての事業を、如来は悉く知り悉く見ておられ、誤り漏れることも隠れることもありません。如来が悉く知り悉く見ておられるゆえに、この人の行う一切は功徳が無駄になることなく、少しも埋もれることはありません。彼は将来、量るべからず、称すべからず、辺際なく、思議すべからざる功徳を成就するでしょう。
なぜこの人が金剛経を受持読誦する功徳、衆生のために行う一切の功徳を、如来が悉く知り悉く見ておられるのでしょうか。この如来とは、一つには色身如来、一つには法身如来を指します。色身如来は、無量の神通徳能があるゆえに、仏眼をもって観るが故に、この人が金剛経を受持読誦するすべての功徳を悉く知り悉く見、この人が無量の衆生を度化するすべての功徳と福徳を、一つも漏らさず悉く知り悉く見ておられます。仏には無量の智があり、一切種智があり、世出世間に知らざる法なく、見ざる法なく、円満に大千世界を照らし、一つも漏れることがないからです。
そして法身如来は、時を選ばず場所を選ばずこの人に随い、この人の行う一切には、必ず法身如来の照応と護持があります。法身如来とはこの人の如来蔵そのものであり、如来蔵はこの人の心行を知っており、またこの人に配合して一切の事業を完成させ、さらに衆生の業種を記録し収蔵します。したがってこの人の行う一切を如来蔵は悉く知り悉く見ておられ、業種はすべて収蔵され、将来この人のすべての功徳果報を実現し、この人の功徳を無駄にせず、最後には円満に仏となることができるのです。
世尊は説かれました:このように金剛般若波羅蜜経を受持読誦し、かつ衆生のために広く宣説することができる人は、皆な如来の家業を荷担することができ、将来また畢竟して阿耨多羅三藐三菩提を成就することができるでしょう。なぜこのように言うのでしょうか。なぜこの経は大乗菩提心を発した者のために説かれ、最上乗を発した者のために説かれるのでしょうか。須菩提よ、もし人が人天小法を喜び楽しむならば、それは必ず我見・人見・衆生見・寿者見に執取し、虚妄の五陰のために人天小善法を修行し、目的は五陰を天に昇らせて享楽させ、富貴栄華の果報を享受させることにあります。彼は享楽すべき我あり、布施を受ける人あり、得るべき福ありと見るでしょう。
そうであれば彼は如来の説かれたことを信受せず、金剛経に説かれる無我相・無人相・無衆生相・無寿者相という真実の法を信受せず、四相を離れた金剛実相心が真実の我であることを信受しません。彼は金剛経を読誦せず、まして実相如来蔵を証悟せず、さらに他の衆生のために大乗実相法を演説することはありません。そして自我解脱を楽しむ小乗者は、内心においても四相に著しており、誤って自我五陰があると見るが故に、自分の五陰自我が再び苦しみと輪廻を受けることを恐れ、急いで涅槃に入り、三界の生死を出離し、大乗菩薩法の修学に回心することを肯んじません。したがって彼らもまた此の経を聴受読誦せず、もちろんさらに人にこの経典を解説することはできません。
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