衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年10月12日    金曜日     第1開示 合計907開示

意根の証悟によってはじめて智慧が生まれる

意根の慧力(prajñā-bala)の問題について、意識が持つすべての智慧は意根の上に落ちてこそ成功したことになり、初めて種子として保存され、後世においてこそ役に立ち、最終的には意根の慧力があらゆる働きを起こすのです。意根が証果するには、初果から四果に至るまで、また明心するならば、初めての明心から成仏に至るまで、すべて意根の慧が働いているのです。意識の慧の結果とは、意根に智慧を持たせ、意根に転識成智させ、大智慧を具足させ、最終的に成仏させることにあります。

意識の慧と意根の慧の違いは、意識には論理的思考・分析・推理の働きがあり、比較的抽象的な思考ができることです。一方、意根は抽象的な思考ができず、具体的で、筋立てがあり、画像のあるものでなければならず、現量であればあるほどよく、現実的であればあるほどよいのです。意根は分析・思考の能力を持つことが難しく、論理的な推理・判断を行うことも困難であり、この面では意識に頼ることになりますが、その他の現量の量度については完全に自分自身で行うことができ、もちろん意識の補助があればそれが最善かつ最速です。したがって、図や画像があり、目の前に筋立てや情景がある場合には、意根が比較的呼応しやすく、意識の記憶も確固たるものとなり、きわめて理解しやすくなるのです。これがその道理です。六根が互いに通じ合い、互いに用いるときには、意根は意識に代わり、五識にも代わります。楞厳経に説かれている大迦葉の円明了知、心念によらずして知るというのは、まさにこの道理を示しているのです。

——生如法師の開示
前へ前へ

前念已断后念未生、中間の状態は何か

次へ 次へ

仏法を学ぶ根本の目的は法界実相を証得することである

ページトップへ戻る