衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年09月04日    金曜日     第1開示 合計4829開示

五別境心所法は普遍に現行することができない

じょう (samādhi)を修めるにおいて意根を降伏しなければ、意根はあちこちに攀縁し、心意が散乱して、定はない。五別境心所法があって、識心の功能が強大であり、識別力が強いことを表す。地上菩薩は煩悩を断除し、意根と意識が転識成智すると、心所法も転変し、煩悩心所法が一部除去され、善十一心所法が増加する。別境心所法は、別々に現れることを表しており、常に時々刻々現れるのではない。衆生がいつ修めても、別境心所法は永遠に別境として現行し、個別の時と個別の境界において現行するのであって、普遍的に常に現行することはできない。諸仏と何地以上の菩薩は、その勝解 (adhimokṣa)、定、慧は常に時ところどころに現れるのである。

もし別境心所法が普遍的に現行すれば、心は忙乱し、常に欲望があり、ところどころに思いがあり、心は安寧できなくなる。ただし定心所は除く。意根は常に欲があってはならず、常に念頭があってはならない。そうでなければ定がない。意根が常に勝解 (adhimokṣa)の時があるならば、その智慧は相当広大で深細であり、おおよそ八地菩薩以上であるが、しかし九地と十地の菩薩にはまだ愚痴と無明が断除し尽くされていないものがある。意識と五識も常に五別境があってはならず、常に境界を了別してはならず、常に念があってはならず、常に欲があってはならない。さもなければ心は麻のごとく乱れ、定力が消失する。二禅以上の深い定も常にあってはならず、さもなければ欲界の衆生は正常に生活することができなくなる。

仏地の八つの識はすべて二十一心所法であり、無垢識 (amala-vijñāna)と意識・意根・五識の心所法は完全にまったく同じであり、想像を絶する。凡夫の意識心所法は五十一个の心所法と相応するが、必ずしも五十一个の心所法がすべて現行するとは限らず、五遍行心所法を除き、その他の心所法は断続的に現行し、現行する機会のない心所法もある。五十一个の心所法の中で、煩悩心所法が大部分を占めている。もし心所法が転変しなければ、この人は根本的に修行らしきものがなく、修行にも何の意味もない。転識成智とは、識心の心所法が転変し、悪いものが除去され、善いものが増加・増強されることであり、修行が成就に達した後にはこのような結果となるのである。

——生如法師の開示
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七つの識はすべて五別境心所法を有する

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実証の時に意根の慧が先に出生する

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