衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年09月02日    水曜日     第1開示 合計4827開示

大乗入楞伽経巻三 講解

<h2 style="text-indent: 2em;">大乗入楞伽経 巻三</h2>

原文:佛言。大慧。我所说者。分别尔炎识灭名为涅盘。大慧言。世尊。岂不建立八种识耶。佛言建立。大慧言。若建立者。云何但说意识灭非七识灭。佛言。大慧。以彼为因及所缘故。七识得生。

大慧。意识分别境界起执著时。生诸习气长养藏识。由是意俱我我所执思量随转无别体相。藏识为因为所缘故。执著自心所现境界。心聚生起展转为因。大慧。譬如海浪自心所现。境界风吹而有起灭。是故意识灭时七识亦灭。

解釈:仏は言った:大慧よ、私の説く涅槃とは、諸の分別と煩悩を起こしうる六識の心が滅し、もはや分別を行わなくなること、それが涅槃である。大慧菩薩は世尊に問うて言った:衆生には八種の識があるのではないでしょうか。仏は言った:八種の識はある。大慧は言った:八種の識があるならば、なぜ意識が滅すれば衆生は涅槃を得るとだけ説き、七識が滅して涅槃を得るとは説かないのですか。世尊は言った:大慧よ、七識は六識の絶えざる分別と執著を因と縁として、はじめて生起し転ずることができるのである。

六識が絶えず六塵を分別し、しかも六塵を実と執著するとき、第七識を薫染し、第七識に習気を形成させる。習気の種子は第八識の蔵識の中に存在し、第八識を薫染して、第八識の中の業種に生滅を生じさせる。衆生の五陰の身が出生するとき、第七識の意根は第八識に依って、生まれながらにして俱生の我執と我所執があり、意根の恒審思量の性がそれに伴って転ずるのである。これは六識が絶えず分別し執著して種子を存入する縁故によるのである。

この文章は誤解を生じさせやすい。意識さえ滅すれば意根もそれに伴って滅し、涅槃に入るのだと誤解してしまうのである。しかし深く細かに思惟し、涅槃の前因後果、その背後に潜む論理関係を整理すれば、誤解は解消されるであろう。仏の説かれた、分別と煩悩の性を具えた意識が滅し、もはや分別と煩悩を生じさせず、いかなる造作もなければ、新しい業種を如来蔵に存入することはなく、意根も意識から新たに薫されることがなく、自身の思心所はもはや運行せず、世間法に心を置かなくなるので、次第に世間から退き、こうして涅槃の境界に達し、世間の束縛から解脱する。これは長期の過程であり、意識は次第に分別せず煩悩を起こさず造作せずとなり、意根は次第に思を弱め、思を消去し、抉択せず、無所作為となって、最後には涅槃寂静となるのである。意識のこのような滅は、まず心行を滅することであって、毎日眠って昏倒するような滅ではない。そのような滅は受動的で一時的な滅であり、分別と煩悩の性は滅しておらず、目覚めた後には再び業行を造作し続け、意根に絶えず思と抉択をさせ、輪回が止まないのである。

別の面から言えば、意識が分別と煩悩を行わず心行が滅するのは、まさに意根の抉択の結果である。意根は世間の中で分別煩悩することを望まず、意識に造作を指揮しなければ、意識は自然に休息し、ついには滅するに至る。このような滅は永久の滅であって、毎日滅して再生起する滅ではない。意根の心の無為によって意識が無為となり、意識の無為がまた意根の無為を促し、意根が徹底的に無為となるとき、意識は永久に滅して生起せず、意根は自動的に滅する。こうして自動的に涅槃となるのである。

意識に智慧があり、世間法に対して自主的に無為であれるとき、次第に世間法を分別しなくなり、次第に煩悩がなくなり、意根は次第に意識を指揮できなくなり、心も息し、意識に分別と煩悩を指揮しなくなる。こうして意識が造作しないことが意根を無為とせざるを得なくさせ、寂静涅槃に趣向し、世間の苦から解脱する。これを意識が意根を薫する、意根が薫を受けて修行成就するというのである。

——生如法師の開示
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意根の思心所法が眼識・意識の了別を決定する

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七つの識はすべて五別境心所法を有する

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