衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年08月17日    月曜日     第1開示 合計4812開示

意根の思量決択作用

意根の恒審思量性は、無始劫以来、このように働いており、祂は常に我があると執着し、自己にとって最も有利な方法、自己の目的を達成する方法、自己の願いを満たす方法を恒審思量している。祂は常に遭遇する一切の法を衡量し、取捨選択を思量する。思量した後、祂は取捨と造作を決定するが、造作するには六識という道具が必要である。意根自身は造作できず、ただ六識を主導して身口意の行を造作させるだけで、第八識は刹那刹那に協力する。意根が我執を降伏し、識を転じて智となした後は、自己に対する思量性や権衡性が減少し、もはや常に自己の私利を中心に思量し取捨選択することもなくなる。

意根が何の法を造作するかを決定すると、第八識は常にそれを了別し、それから祂に随順し、業種に基づいて相応の識の種子を出力し、六識を生じさせ、身口意が造作される。したがって、六識のすべての身口意の造作は、必ず意根に順応するものである。もし偶然に意根の心行に随順しないことがあれば、意根の習気が重い時には必ず心が煩い気が立つ。意根を降伏して初めて、身口意の行を清らかにすることができる。意根を降伏しなければ、身口意の行は清らかにならない。意根が変わらなければ、六識の身口意の行も変わらず、業行や業種も変えることができず、生死輪廻は絶えない。

意根は何に基づいて思量するのか?つまり、祂が思量する内容は何か?意根自体は識であり、識の体性を持つので、見分がある。見分は心所法の形式で運行し、主に作意、触、受、想、思の五つの心所法がある。意根の見分が見る対象は相分であり、すなわち作意・触・受・想・思の対象と内容である。これらの相分はすべて第八識が本質境に依って变现した影像である。これらの影像を意根が触れた後、思量性を起こし、どのように造作し処理するかを再び取捨選択する。また、六識が六塵の境界を了別し取捨選択した内容は、意根にフィードバックされる。意根はそれを受け取った後、また思量し、それから取捨選択を行う。

——生如法師の開示
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意根恒審思量の決定性作用

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意根が選択的に思量(manasikāra/manana)した結果、禅定が現れることになる

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