衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年08月02日    日曜日     第1開示 合計4794開示

以下の場合、意根は作意せず六識を出生する

一つは、眠って夢を見ない時、意根は色身が休息を必要としていることを知り、攀縁したり了知したりすることを望まず、作意しないので、六識は現起せず、分別を起こさない。二つは、胎児の時、完全な五浮塵根と勝義根がなく、六入を形成できず、第八識が内相分を変現しないので、意根は六塵に触れず、ゆえに前六識は生起できず、六識による領納了別がない。三つは、昏倒している時、大脳の勝義根が損傷を受け、六入が勝義根に入るのが妨げられ、六識が生ずる因縁が具足しないため、分別を起こさない。四つは、無想定の時、勝義根は完全であるが、意根が色声香味触法を深細に了別することを望まないため、六識は生起しない。五つは、滅尽定の時、意根の受心所と想心所がともに滅し、意根が六塵を攀縁しないため、六識による六塵の領納がない。

意根は存在している限り、六塵の境界に対して作意があり、昏倒している場合でも無想定の中でも作意があり、さらに第八識に依拠して身根に対しても作意する。それゆえこそ、昏倒から目を覚ますことができ、定から出ることができるのであり、さもなければ目を覚ますこともできず、無想定や滅尽定から出ることもできない。

夜半に眠っていて、突然地震が発生した時、意根は逃げようと思うのに、なぜ逃げられないのか。逃げるという身行は意根が指揮し、身識と意識が共同で執行しなければならず、六識が速やかに生起できなければ、意根はただもどかしがるしかないからである。魘鬼が身体を圧する時、意根はそれを振り払おうと思うのに、身体はなぜ動けないのか。意根は動こうと思うのに、なぜ動けないのか。意識の心はまだ胸が重く圧えられていることを知ってはいるが、どうしても動けない。これらはすべて、六識が非常に微弱で、魘鬼に対抗する力が足りないためである。

——生如法師の開示
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意根が受想と貪愛を滅除すれば即ち滅尽定に入る

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