衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年05月27日    水曜日     第1開示 合計4724開示

境界と定力の関係(二)

問:この三年ほど、眠っている間に、自分が経典を読み、法義を聞いている夢を見ます。仏経には古代の線装本の形式のものもあれば、瑪瑙や琉璃に刻まれ、透き通り輝いて虚空に満ちるような形式のものもあります。夢の中には、壮大で幽遠な声が説法しており、自分は夢の中で「相は心より生じる」「色空不二」といった法義をはっきりと感知し、すべて理解して心に刻むことができます。しかし、目が覚めると、具体的にどのような法義を悟ったのかはあまり覚えていません。これは仏菩薩の加護によるものなのでしょうか、それとも単に「昼に思うことは夜に夢に見る」というだけのことなのでしょうか。

答:夢の中で法を聞くのは、独頭意識と意根が一緒に聞くからです。もし意根だけが単独で聞くなら、夢境は生じず、意識は夢を見ていることを知らないでしょう。目覚めた後の独頭意識が夢の中の境界をはっきり覚えていないのは、一つには夢境がそれほど特別に重要ではないからであり、二つには目覚めた後の独頭意識と夢の中の独頭意識の繋がりが密ではなく、情報の受け渡しが不完全で、その一部を忘れてしまうからであり、三つには意根の法義に対する熏習がまだ特別に熟達していないからです。このような夢が現れるのは、一つには「昼に思うことは夜に夢に見る」からであり、二つには仏菩薩の加護の結果である可能性があるからです。もし仏菩薩の特別な加護であれば、一般的には、目が覚めた後もはっきりと覚えており、感情が少し高ぶっているように感じるものです。

問:またある時、夢の中で実際に「空」と「有」の転換を体験しました。心に意識の分別が生じると、身心世界が即座に現れ、心が空しく清らかになると身心世界はすべて空になり、ただ一念も生じず言葉にできない「了了たる霊知」だけがある、という状態を、夢の中で二、三度繰り返し、非常にはっきりとしていました。これは少し良い知らせと言えるのでしょうか?夢の中で、ほんの少しでも念を動かせば身心世界や山河大地が現れ、そのスイッチを一念不生に切り替えれば、その場でただ「了了たる霊知」だけが残る、ということを二、三度繰り返しました。

答:自分の心と影像を制御できるということは、定力があることを示しています。すべての法は、心が思えば心の中に浮かび、心が思わなければ心の中に浮かびません。心の外に法があるかどうかは、また別の問題です。ですから、この「空」と「有」の物理的な現象は、心念の切り替えの問題です。本当の「空」とは「空心」です。心が本当に空である時、目の前に百千万の色、色とりどりの美しい景色があっても、それを本当に存在するとは思わず、これらの色を真実だとは見なさず、執着もありません。「一念不生」の中の「了了たる霊知」は、まさに意識心であり、自分で制御できます。うまく制御すれば念は現れず、うまく制御できなければ支離滅裂になります。制御できるかどうかは定力の問題です。

——生如法師の開示
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金剛経講解・一体同観分第十八

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