衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年05月13日    水曜日     第1開示 合計4710開示

『長恨歌』を観る

如春:若い頃にこの詩を読んだ時は、とても美しいと感じ、その深い情に感動した。今改めて読むと、自分の愚かさと、この詩の荒唐無稽さを深く知る。太平の世には:「回眸一笑百媚生,六宫粉黛无颜色」、三千の寵愛を一身に集める。国難が頭上に迫った時には:「六军不发无奈何,宛转娥眉马前死」。紅顔は禍水とされ、皇帝の代わりに罪を背負わされた。君王の虚偽:「君王掩面救不得」。男女の愛情はなんと虚偽で変わりやすいことか。君王はなんと現実的なことか:江山を守るために愛する人を犠牲にし、その命で六軍の怒りの火を消し、自分だけ逃げおおせる。

詩人はこの薄情を、帝王の深い情として美化し、千古の絶唱とした:「在天愿做比翼鸟,在地愿为连理枝。天长地久有尽时,此恨绵绵无绝期。」それならば、なぜ妃は死に、君だけが生き残ったのか? なぜ自分の手で楊妃を害し殺したことを恨まず、今自分の深い情の託け先が得られないことを恨むのか? これはとても荒謬ではないか? 詩人がどう考えていたのか分からない。その原意が、詩によって世人を警醒しようとしたものなのかどうかも分からない。しかし詩全体を通してみれば、むしろ帝王の政治的無能と、その薄情で虚偽で利己的な醜い素顔を誤導し、覆い隠してしまっている。その政治的失敗を、楊玉環があまりにも美しく魅力的であったこと、紅顔は禍水であったことのせいにし、王朝の衰退を招いたのだとする。貴妃は最後、この男女の情愛の苦しみの虚妄を見破ることができただろうか? 自分が寵を恃んで驕り、盛世の栄華を貪って享楽したことによって、今日の苦い果実を結んだのではないかと省みただろうか? 福が尽きて亡くなるのを、誰のせいにするのか?

古来、どれほど多くの男女が物質と情愛に耽り貪り、盲目的に飛蛾が火に赴くように、何のためかも分からず、今この瞬間のわずかな感覚だけを追い求め、どれほど苦しくても飴のように甘んじ、どれほど大きな代償を払っても振り返らない。世人はまた功名をも渇望する。この詩は千古に流伝し、万人に誦せられ、人々の男女の情愛への羨望と憧れをかき立てた。しかし男女の情こそ輪回の主因であり、貪愛すればするほど繋縛される。これはいかなる因果を背負うことになるのか? 考えるだけで本当に恐ろしい。

人類の業力は、人にこれらの強烈な渇望と希求を持たせ、これらの浅薄な心智・情感と邪謬な思考パターンを持たせている。これを覆そうとするのは実に難しい。衆生はこれらの苦難に対して、厭離しないどころか、かえって深く貪愛し、六根は常に六塵を貪愛している。それはすなわち常に苦を貪愛しているのと同じであり、苦を知らず、苦を貪愛している。これでどうして解脱できようか? 大菩薩だけがこの頑固な業力を引き抜き、人類のこの根深い認知と貪求を覆すことができる。それは人類の遺伝子改造工程に相当し、実に容易なことではない。世間の苦難を観行 (vipaśyanā-caryā) できればできるほど、三宝への感謝の念が深まる。


——生如法師の開示
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