衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年03月26日    木曜日     第1開示 合計4661開示

意根の率直な特質

如春:昨夜、娘の心理状態のことを考えていて、はっきりわからないうちに眠ってしまいました。夢の中で娘がたくさんの話をするのを見ました。彼女の話す言葉が次第に一匹の蛇の形に変わっていき、頭を高く上げ胸を張っていました。それは偽の蛇で、提灯のような蛇で、中から光が透け、外側には多くの黒い薄片状の物質が付着していました。私は蛇が怖いので、びっくりして目が覚めました。これは意根が夢の情景を通して何かを喩えて示そうとしているのではないでしょうか?

評点:多くの場合、心理・精神面の病気は身体の健康状態と関係があり、身体を調えることを通して、精神状態が調えられます。夢の中であなたの娘の言葉が蛇の形に変わったのは、あなたの娘の心理に暗い面があり、解くべき重い煩悩と心のわだかまりがあることを予示しています。彼女の心のわだかまりは、一方では心理医師のカウンセリングを通して理解し処理し、他方では身体を調える必要があり、身心の両面を結合して治療すれば、効果は比較的良いはずです。

意根が一つの夢の情景を作り出すのに、意識は長いことその意味を理解できません。これは主に意識の受容能力が不足しているのでしょうか、それとも意根の表現・暗示の能力が不足しているのでしょうか?意根と意識の間の意思疎通が円滑でない原因は主に二点あります。一つは意根本身の智慧が不足しており、夢の中や定(じょう)の中、その他の状況において示す境界があまり適切でなく、ふさわしくなく、意味が曖昧で明瞭でないことです。二つ目は意識の智慧が不足しており、意根が示した境界の意味と指向を十分に理解できず、意根の心意を見抜けないことです。夢の情景は意根が現したものであり、意根自身の心境と感覚を表現するものであり、この境界に対して考えはあるものの、処理する力がなく、その目的は意識に理解させ、処理させることにあります。

意根は一切の時において道徳感がないわけではなく、一切の時において是非や正誤がないわけでもありません。神様を一つの正常な識心として扱えばよいのです。識心がどうあるべきで何を持つべきなら、神様もそのようにあるべきで、そのように持つべきです。意根という作主識の特徴はやはり非常に明確で重要であり、神様は衆生の自我なのです。意根に道徳や是非・正誤があるかどうかは、人により状況により分かれ、これはかなり複雑です。意根は六塵の境界に対する分別力が弱く、意識の補助を必要とします。分別力が弱い以上、神様の六塵に対する感覚は意識ほど鮮明明瞭ではなく、行為の上で意識による制約がなければ、ちぐはぐで筋の通らないものに見えます。例えば酔った後は、意識が意根を制約できなくなり、この時意根の本性が現れて、どんなことでもやりかねず、道徳の底線がなくなります。しかしこれは一部の素質の低い人々の行動であり、すべての人の意根がそうであるわけではありません。

意根は夢の中で恥じらいのない境界を現すことができ、何の忌憚もなく、非常に直接的で、率直で、磊落としており、これは意根が非常に素朴で率直で、飾らないものであることを示しています。意根を比較的完全なものに修めた時、この人の行為は意根を主とし、意根の意志を体現し、常に非常に直接的で、率直で、率真な性格を現します。菩薩はまさにこのように率直で、心が歪んでいません。修行が良い人ほど、心性はまっすぐで、正直で欺くことがなく、諂曲せず、陰謀詭計を働きません。さらには陽謀さえ用いず、駆け引きや計算を使わず、気の向くまま、自然で、度量が大きく、明るく、磊落としており、人に警戒や防備の心を起こさせません。福德が大きい人ほど、智慧が高い人ほど、ますます気の向くまま自然で、ますます率直で率真であり、計算を働かせず、心を用いることなく、堂々として潔いものです。


——生如法師の開示
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