衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年03月06日    金曜日     第1開示 合計4640開示

夢の中で戒を犯さないということは、意根が持戒できることを示している

問う人:ある人が言うには、戒律を持つのが成功したという基準は、夢の中で戒律を持ち続けられること、夢の中でも主となって戒律を犯さないことだそうです。これは意根が意識に抑圧されずに道理を明らかにしている状態であり、その段階に達して初めて中陰の時期にいくらかの確信が持てるのでしょう。これはかなり強い定力が必要です。

答え:その通りです。意根が戒律に対して熏習を成し遂げたならば、主となって支配でき、自然に戒律を持ち続け、昼も夜も戒律を犯しません。夢の中での様々な行いにも主となって支配でき、境界の試練に遭遇しても戒律を持ち守ることができます。意根の心が変わることによってのみ達成できるのです。この段階に達していない人は、まだ意識が戒律を持っている段階にあります。意識が戒律を持つとは、意根を抑え伏せて、意根が身口の戒律を犯す行為を選択しないようにすることです。意識が意根を抑えきれなくなると、意根が戒律を犯す行為を選択し、人は戒律を犯してしまいます。

最初の修行では、意識でできる限り戒律を持ち続けるしかありません。これは抑え伏せると呼び、あるいは戒律を持っているふりをすると呼びます。意根の心がまだ自主できず変わらないうちは、まず戒律を持っているふりをし、修行者であるふりをし、合格した仏教徒であるふりをし、立派な出家者であるふりをするなど、すべてまずふりをします。時間が経てば、ふりをし続けることで意根が適応し変化していき、その後はわざわざふりをする必要がなくなります。もしふりさえも上手くできないなら、意根の煩悩や習気が重すぎて、意識も弱く、意根を抑えられないことを示しています。もしふりをしようとさえ思わないなら、意根の煩悩が重いだけでなく、意識の煩悩も重いので、意根の煩悩に従ってしまうのです。これを放任と呼びます。煩悩を隠さないことを提唱する人々はこのような状態です。なぜなら隠しきれないからです。

——生如法師の開示
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