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日常法話

2026年03月02日    月曜日     第1開示 合計4634開示

楞厳経における見性の講述

原文:佛复告阿难。如汝所言。无有见精。离一切物。别有自性。则汝所指。是物之中。无是见者。今复告汝。汝与如来。坐祇陀林。更观林苑。乃至日月。种种象殊。必无见精。受汝所指。汝又发明。此诸物中。何者非见。

阿难言。我实遍见。此祇陀林。不知是中。何者非见。何以故。若树非见。云何见树。若树即见。复云何树。如是乃至。若空非见。云何见空。若空即见。复云何空。我又思惟。是万象中。微细发明。无非见者。

解釈:仏はさらに阿難に告げて言われた。あなたの言うように、見精(見性)には一切の物象を離れて別に自体性があるものはない。ならばあなたの指し示すそれらの物象の中には、そのような見性はない。今さらにあなたに告げる。あなたと如来とは祇陀林に坐して、この祇陀林苑を観じ、さらには太陽や月に至るまで、あなたが見る種々の像はいずれも異なっている。そもそも見性には、あなたに指し示させるものはまったくない。あなたはさらに言ってみよ、これらすべての物象の中で、どれが見性ではないのか。

阿難は言った。私は確かにこの祇陀林を周くまなく観察しましたが、これらの物象の中で、どれが見性ではないのか分かりません。なぜそう言うのか。もし樹が見性でないなら、どうやって樹を見ることができましょうか。もし樹が見性そのものであるなら、それを何と呼んで樹と称するのでしょうか。この道理と同じように、もし虚空が見性でないなら、どうやって虚空を見ることができましょうか。もし虚空が見性そのものであるなら、それを何と呼んで虚空と称するのでしょうか。私はまた思惟しました。これらの万象の中を仔細に探求してみると、見性ではない物象は一つもないと悟りました。

以上の仏と阿難の対話は、妄法の塵境が現れるところがあって初めて見性の働きがあり、見性が働きを起こして初めて妄法の塵境が現れることを示している。しかし妄法の塵境は見性ではなく、見性もまた妄法の塵境ではない。だからこそ、樹が現れるには見性を離れることができず、見性を離れれば樹は存在しない。もし樹が見性そのものであるなら、それもまた樹ではなくなってしまう。樹はどうしてまだ樹であり得ようか。まとめて言えば、衆生が見る一切の妄法の塵境はいずれも見性ではないが、一切の妄法の塵境を見るとき、見性の功徳と働きでないところは一つもないのである。

この内容に基づけば、完全に見性を参究する工夫をすることができ、因縁の時節が到来すれば、見性することができる。しかし、その前の道を先に歩み終えなければならない。第一に菩薩の六度の福德資糧を具足すること、第二に断我見と明心を基礎とすることである。未来を心に抱きつつ、なお現在に着手し、足元の道をしっかりと安定して歩まねばならない。自分の菩提心が生起しているかどうか、清浄な大願が発起しているかどうか、私心や慢心が調伏されているかどうか、心の中に衆生があるか、仏教があるか、三宝があるかを反観せよ。これらはすべて大乗の実修実証に不可欠な要件であり、欠くことができないものである。

——生如法師の開示
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