衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2025年11月20日    木曜日     第1開示 合計4530開示

金剛般若波羅蜜経の核心的な教え

般若とは、出世間の大智慧であり、世俗の智慧とは全く異なるため、智慧と翻訳されない。世俗の智慧は三界世間における生存の智慧であり、欲界人間における政治・経済・人文・科学技術・教育・社会・哲学など各分野の智慧、欲界の天人たちが一切時に享楽と神通自在を得る智慧、色界の天人たちが殊勝な禅定の境界にあり男女の区別なく飲食も必要とせず禅定の楽を享受する智慧、さらには無色界の天人たちは色身を持たないが甚深な禅定にあり、心が定中において定福を享受する智慧、これらすべては三界世間の範疇と智慧の境界に属し、いずれも生死輪廻を出ることはない。

一方、出世間の智慧である般若は三界の内外になく、三界の法に摂されるものではない。そのため、般若は直接「智慧」と翻訳されない。そうすることで、世俗の人が「私たちにも智慧がある。政治、経済、文化、心理など各分野各業種に高度な智慧を持っている」と誤解するのを避けるためである。しかし、これらの智慧はいずれも世間の生滅する無常の法に属し、金剛心の般若智慧によって生み出され、般若智慧に依って初めて存在し発展するのである。金剛心の般若智慧は無量無辺に広大であり、宇宙虚空もその中にあり、無量の諸仏国土、無量の華蔵世界、無量の世界海がすべて虚空中に建立され、これらはすべて無量無際の有情衆生の金剛心如来蔵が共同で顕現したものであり、一真法界と呼ばれる。十法界(四聖六凡)はすべてこれによって生じる。

人類の宇宙船がどれほど遠くまで飛べようとも、いかに遠くても虚空の外には飛び出せない。虚空は金剛般若心の外に出ることはない。一つの仏国土は一つの三千大千世界と呼ばれ、百億の南瞻部州、北俱盧州、西牛賀州、東勝神州を含み、四大海、七金山、地獄、須弥山、月宮、日宮もそれぞれ百億ずつあり、四天王天、忉利天、焔摩天、兜率天、化楽天、他化自在天、色界の初禅天もそれぞれ百億ずつあり、これらすべては金剛般若心体である如来蔵によって顕現される。宇宙船はどこまで飛べるというのか? ましてや如来蔵がなければ衆生は存在できず、ましてや宇宙船のようなものを作ることなどできず、商売や政治、子を生み育て子孫を増やすこと、あらゆる事業はすべて止息するほかない。一方、般若智慧は万法、億万法、無量法を生み出すことができ、世間の衆生の意識心の智慧では想像も及ばない。ただ仏のみが完全徹底的に如来蔵の智慧、機能、種子、徳相を明らかに理解できるため、仏は一切種智と称されるのである。

波羅蜜とは彼岸に到るという意味であり、その岸には生死がなく、苦受も楽受も一切の受もない。私たち五陰のこの岸は生死の此岸であり、生生死死して終わりがなく、三苦(苦苦、行苦、壊苦)八苦(生老病死苦、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五陰熾盛苦)および無量無辺の煩悩惑業苦がある。五陰はこの岸で生じては滅び、滅んでは生じる。衆生は見破ることができないため、皆うんざりすることもなく、出離心もなく、生死苦海を出ようとは思わない。

一方、金剛心体である如来蔵はあの岸にあって、生死苦厄をこれまで一度も経験したことがない。無始劫の昔から元々存在し、一刹那たりとも滅したことがなく、未来も永遠に滅することはない。寿命はなく、「無量寿」と言ってもそれは有量であり、無量のまた無量であって、寿も命もない。苦しみを受けることもない。衆生が無間地獄に堕ちた時、色身は地獄のように広大で、あらゆる部位に刑具が施され、死を求める一念しかないほど苦痛に満ちるが、彼の如来蔵は一点の苦痛も感じることはない。如来蔵は世間法に相応する感受を持たないため、苦しみがないのである。衆生が天に昇って享楽する時も、如来蔵は決して享楽せず、見向きもしない(眼がないため)。了知せず分別せず、色身もないため享受できず、天人が天楽を耳にしても聴かず、天香を鼻にしても嗅がず、甘露を舌にしても味わわず、宝池に入って沐浴しても触れず、天子が往事を回想し未来を憧憬しても想わない。

このように清浄な心は、一点の世間の業行も造作しない(しかし造作しないわけではない。五陰が必要とする一切はすべて如来蔵によって提供され、すべては如来蔵によって変生される。如来蔵は一切を無私に奉献するが、一点の回報も決して希求しない)。どうして生死があろうか? 誰が身口意の行いを造作し、誰が生死を受けるのか。如来蔵は生死苦を受けない。五陰身が生々世々に業行を造作すれば、当然生死があり憂悲苦悩がある。如来蔵を理解し、如来蔵の清浄無為性を証得してこそ、初めて生死苦を出離し、涅槃の彼岸に到達し、寂滅清凉の楽を得ることができるのである。


——生如法師の開示
前へ前へ

金剛経の要旨

次へ 次へ

『金剛般若波羅蜜経』の概説

ページトップへ戻る