衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年09月06日    土曜日     第1開示 合計4466開示

三悪道における裏盗の現象

三悪道の衆生は六道の中で最も貧しい存在であり、地獄の衆生は極度の苦痛により悪業を造ることができないため、盗みという概念自体が存在しない。餓鬼の衆生は神通力を持つため、容易に盗みの心を生じさせ、人間の精気を食らう者、人体に憑依する者がおり、人間のあらゆる生活物資や道具を使用するのは、命を盗んで生きる行為に属する。畜生道の生き物は、第一に互いに共食いし、第二に人類に依存し、あるいは人間に飼育されるか、人間の食糧を盗み食いする。ごく少数の種(例えば蜂が花を集めて蜜を造り、セミの蛹が桑の葉を食し、牛や羊が草を食べる)は自然に依存して生き、盗みに頼らず自活しているが、まさにこうした生き物は逆に人間に利用される。例えば蜂が苦労して蜜を造っても、結局は人間や他の畜生に盗まれ、畜生は一般的に盗みや争いによって生存しており、その習性が固定化されている。貧困で無力であるため、他に方法がないのである。

畜生の悪業が一時的に尽き、福報が人間に生まれ変わるのに十分な時、一時的に人間となるが、それでも畜生の盗みの習性を引き継ぎ、人間としての習性はほとんど持ち合わせていない。そのため大多数の人間も互いに盗み合い、慣れてしまうと当然のことと思い、むしろ当然だと考える。悪人は自身の悪に気づかず、精神病者は自身が精神病であることに気づかない。まさにこの通りである。

天界から降りてきた人間は、一般的に孤高で清らか、度量が広く、喜んで施しを行い、他人の物を使うことを潔しとせず、心に潔癖さを持ち、身にも潔癖さがあり、卑しい盗みの行為は行わない。


——生如法師の開示
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占いなどの手段で相手の情報をのぞき見る行為は盗みに当たる

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