菩薩戒に従えば、自分のものではない金銭・財物・名誉・眷属など一切の法を心の中で自分のものだと思った時点で、すでに盗戒を犯している。例えば、他人の家族や親族を心に思い浮かべるのは、すでに人を盗むことに相当する。こっそり他人の恩恵を借りようと思い、他人の物を使おうと思えば、それだけで戒律違反となる。心が清浄な人は、行動が節度を越えず、心の念いも清らかで節度を超えない。心に自分のものではないものを思い慕い、心が想わなければ、行動には現れない。だから心を修め心を防ぐことが根本である。自分にものがあればそれを使い、自分にものがない場合は、努力するか、心を休めるかして、決して他人のものを思慕してはならない。骨気と気節を持ち、盗人になることはできず、いつも盗みに頼って生活し、欲望が大きく能力が追いつかないなら、盗みしかできない。人が貧しすぎて何もなければ、盗むしかなく、貧しければ貧しいほど盗み、盗めば盗むほど貧しくなる。いつになったら貧困から脱却できるだろうか?
戒を受けて初めて、戒を犯すと言える。戒を受けていない者は、戒を犯すとは言わない。とはいえ、これらはすべて人としての範疇に属し、仏教を学んでいるかどうか、戒を受けているかどうかに関わらず、盗む心と行いがあってはならない。人は正人君子であるべきだ。終日名声と利益を争い、奔走し続けても、結局はすべて虚しい。むなしく罪業を作り、私利を得ることはできず、あらゆるものは持っていけず、ただ業だけが身に付き従う。
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