衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年08月21日    木曜日     第1開示 合計4453開示

人間がニワトリやアヒルを行かせて蝗を駆除させるのは殺生にあたるでしょうか?

他人を唆して殺生の業を作らせることは、自身が殺生の業を作るよりも罪業が重い。なぜそう言えるのか?自分が殺生するのは、自分一人が悪業を作り、衆生と悪縁を結ぶことである。一方、他人を唆して代わりに殺生させれば、他人が作った殺生の業にも自分が加担することになり、自身の殺意は依然として残りつつ、他人に悪縁を結ばせ、悪業を作らせ、他人を汚染することになる。これは二重の悪業である。鶏やアヒルに代わって人間が蝗を殺させる場合、蝗が死ぬのは人間のためであり、人間が殺したことに属する。鶏やアヒルはあくまで人間が蝗を殺す道具に過ぎない。同時に鶏やアヒルは蝗と悪縁を結び、来世で悪報を受けることになるが、これは人間が引き起こしたことである。よって、鶏やアヒルを派遣して蝗を滅ぼさせることは、自分で蝗を滅ぼすよりも悪業が大きいのである。

しかし、これほどの蝗害に遭遇した場合、蝗を滅ぼすべきかどうか?もし蝗が人間の生存を脅かすのであれば、もちろん滅ぼす必要がある。何しろ人間の生命は蝗よりも何倍も尊く、両者を比較すればやはりまず人間の生存を保障すべきである。人は仏道の器であり、極めて多くの善業を行うことができ、三悪道の衆生にも益をもたらす。人が生きている限り、他のことは何とでもなる。ただ後世にいくらかの悪報を受けるに過ぎず、今、蝗に命を奪われたり災難に囚われたりするよりははるかにましである。

あらゆる衆生は無始劫以来、数えきれないほど多くの大小さまざまな殺生の業を作ってきた。そのため、あらゆる衆生の業障は深く重く、悪縁は非常に多い。どれほど善良であっても、あなたを殺そうとする者、罵り打つ者、侮辱し陥れる者、誹謗する者、見下す者など、あなたを良く思わない敵対者は数多く存在する。

逆境や災難に遭遇し、やむを得ず殺生の業を作らざるを得ないこと自体が、福徳のない証であり、また業障であり、悪業の果報である。もし業障がなければ、生存を解決するために殺生の業を作らなければならないような状況に遭遇することはない。諸仏菩薩は悪業の種子がすべて消滅しているため、このような逆境を招くことはなく、やむを得ず殺生の業を作ることもない。たとえ悪縁に遭遇しても、災いを転じて福となし、難に遭いながらも吉祥を成し、自らの無量の功徳をもって敵対者を補い救済するのである。


——生如法師の開示
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