衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2024年03月31日    日曜日     第1 回の開示 合計4152回の開示

宗因喩を用いた論証の方法

菩薩の因明学は宗因喻と呼ばれ、宗は宗旨の観点を指し、因は論述すべき理論を指し、喻は譬喩・事例・事実を指します。宗因喻の運用方法を例を挙げて説明します。

ある者が「意根は六根の一つであり、五根と同じく有色根である」と主張したとします。私たちは理法に適った論理的思惟の後、次のように論証します:意根は有色根ではなく無色根である。まず論証の主題、すなわち観点・概念・宗旨を示します「意根は無色根である」。宗旨を提示した後、全面的かつ完全な論述を展開し、論拠と理論を提示します。理念を明確にした後、実例を挙げて実証し、事実をもって説明します。これにより、理論的論拠が宗旨と緊密に結びつき、実例が論証と理念に密接に関連し、一環一環が緊密に繋がり、隙間がなく、最も説得力があります。たとえ反対者が現れても反論の余地がなく、反対のための反対、議論のための議論を行う場合、その反対と議論は無効となります。

当然ながら厳密な論理的思惟がなければ、智慧力が不足すれば、論拠も不十分となり、強力な理論的支えを失い、論述内容は宗旨の正当性を説明できません。思惟が厳密でなければ、論述が不完全となり、隙間や矛盾が生じ、説得力がなく人を納得させられません。挙げられた事例が強引で、論拠の正当性・合理性を補助説明できない場合、論拠の説得力は大きく低下し、人を屈服させられません。論理的な思考弁別力は修行者の智慧のレベルを体現するものであり、智慧が強大であればあるほど、思惟は緻密になり、弁別力は強大化し、説得力が増し、衆生を救済する能力も高まります。菩薩道を行う者は、問題に遭遇すれば深く細やかに思惟観行し、不断に自らの論理的思惟観察力を向上させねばなりません。もちろん大前提として深い禅定が必要であり、思惟が必要な時には一切の干渉を排除し、専心して熟考すればこそ問題を解決できるのです。


——生如法師の開示
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