衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2023年12月07日    木曜日     第1 回の開示 合計4070回の開示

八識の行――思心所法

「行」の範囲は非常に広く、八識の行を含み、広義では運動・運行・動転・行為・変化・遷流などを指します。要するに、すべての流転して止まない現象が行の範囲に属します。このように見ると、世間にも出世間にも、行わず動かない事理は根本的に存在せず、如来蔵も常に行じており、一瞬たりとも停止したことがなく、永遠に止まることはありません。如来蔵には観察可能な行相がありますが、一切の行の中にあって心は寂静不動です。

なぜそう言えるのでしょうか。第一に、如来蔵には五遍行心所法があり、この五つの心所法は一瞬たりとも停止せず、常に運行しています。無余涅槃の中にあっても、如来蔵の五遍行心所法は運行を続けています。第二に、如来蔵自体にも自心の識種子が刹那刹那に生滅を繰り返しており、これによって如来蔵は絶え間なく存在し続け、運行を続けることが可能です。一瞬の停滞もないため、不生不滅の心識となっているのです。

如来蔵の五遍行心所法は存在する限り運行しており、これが「行」です。特に思心所法は選択の意味と同時に、運行・運為の意味を表します。まさに如来蔵の行が諸法の不断なる生起と運行を促し、生生滅滅を続けさせています。したがって広義では、如来蔵も行蘊に含まれますが、この行蘊は生滅するものではありません。如来蔵には諸法を蘊集する機能作用があるため、広義では識蘊と呼ぶこともでき、最も根本的な不生不滅の識蘊です。まさに如来蔵の識蘊の機能体性によって、諸法を蘊集し、諸法の生滅変異を生じさせ、衆生を輪廻させ、世間を変幻自在ならしめているのです。

如来蔵は究竟どのように運為するのでしょうか。第一に、種子を出力し回収し、五蘊世間の一切法を造り、一切法を不断に生滅変異させ、寂止せしめず、業種を貯蔵し発現させます。第二に、業種と五蘊世間の一切法に対し、不断に触・作意・受・想・思を起こし、諸法を縁に随って運行させ続けます。このように如来蔵が不断に行じて寂止しなくとも、如来蔵自心の寂滅無為の心性には全く影響がなく、諸法に対し見ず聞かず欲せず求めない心行を損なわず、諸法に動揺せず動転しない心行を保持しています。

第七識の行には、十二因縁における無明の行も、聖者たちの無無明の行も含まれます。無明の行は生死輪廻の行であり、無無明の行は生死を解脱する行です。第七識の行は生死と解脱の双方に対し決定的な作用を果たし、まさに第七識の行によって如来蔵は五蘊の生死輪廁業種を蘊集し、五蘊世間を蘊集します。したがって広義では、第七識も行蘊と識蘊の範疇に属します。

六識の行は観察・理解しやすいものです。六識は依他起性であり、受動的に現起する行です。広義・狭義を問わず、六識は識蘊に属します。六識が造作する身口意の行こそが業種集起の因であり、五蘊世間現起の因であり、名色を蘊集する因です。受動的な蘊集とはいえ、蘊集作用の大部分を占めています。

——生如法師の開示
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