衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2023年12月06日    水曜日     第1 回の開示 合計4069回の開示

八識における想心所法

八つの識における五つの遍行心所法には、いずれも想心所法が存在します。この「想」とは、識心の了別作用・思惟作用・執着作用を指し、欲望や願望、希望をも表し、衆生の思想活動のほぼ半数を占め、識心が決断を下す際の根拠と原動力となります。

六識の想は五蘊中の想蘊に帰属し、諸法の種を蘊集する作用を持ち、生滅変異し自主性を有しません。五識の想は比較的単純直接で、五塵を了別・分別する作用を起こしますが、その執着性は強くなく、また顕著でもなく、全て意根の推進と調節の下で行われます。意根の推進がなければ、五識の想は存在し得ません。意識の想は内包が豊富で比較的顕著であり、思惟は複雑です。一部は意根の自主性から離脱できますが、大部分は意根に牽引・制御される受動性を帯び、その自主性部分も意根の思想的意志や観念に大きく背くことはできません。さもなければ意根は阻止し、意識が思考を続けることを許しません。これは意根の情緒不安定を招き、心理的問題を引き起こすためです。我見と業障が重い者が五蘊無我を観行する際、ある程度観じると心乱れる現象は、まさに意根が意識の観じる法を受け入れず、それ以上の観行を許さないことを示しています。

意根の想には了別・分別作用だけでなく、主に執取作用があります。意根が諸法を執取するが故に、諸法は絶えず生滅変異を続けます。意根の執取性は十二因縁中の「取」に帰属し、意根の取によって後世の「有」と生死が生じます。故に意根の想は諸法の生起と滅尽に極めて重要な役割を果たします。広義において、意根も諸法を蘊集する作用を有し、主要な役割を担うため、五蘊中の想蘊に帰属すべきです。

如来蔵の想は比較的純粋で、ただ了別・分別作用を起こし、非常に迅速です。決して深く考え悩むことなく、見る法をそのまま知り、思惟・思量・推論などの思想活動を要しません。七識とは全く異なり、如来蔵には無明がなく、その慧は特に強く、ほぼ自動化されたプログラムのように了別し、中間に停滞や停止がなく、一切の法を心に留めません。如来蔵の想によって、如来蔵は諸法及び種子に対する決断を下し、諸法は絶え間なく運行を続け、此れ生じ彼れ滅し、秩序正しく乱れなく展開します。衆生が世間を非常に乱れたものと感じるのは業によって決定され、必然的です。七識と五蘊の世間がどれほど混乱しても、如来蔵の運行は乱れません。故に如来蔵の想は五蘊世間に対し決定的な蘊集作用を有し、広義においても想蘊の範疇に属します。


——生如法師の開示
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